せめて、真崎らしく。 -15ページ目

せめて、真崎らしく。

そんな感じです。



「Teacher's Junctionミーティング ~「すべての子ども」を包括した教育ってなんだろう~」

というイベントに昨日参加させてもらってきました



きっかけは千野ちゃん


このイベントの発起人

目がキラキラしていてデカい
ふくらはぎがかっこいい
純粋なひねくれ感が好き
ダシが好き




ひょんなことから繋がり
ひょんなことから今回のイベントの講演の話がきて
ひょんなことから二人でご飯を食べた




そこで「LGBT」という言葉を聞いた



恥ずかしながら初めて聞いた

ごめんなさい




「LGBT」とは性的マイノリティの総称


L:レズビアン
G:ゲイ
B:バイセクシャル
T:トランスジェンダー



「今までそういう子が周りにいなかったから、正直そういう人たちがどういう差別や困難を受けているのか、あんまり実感湧かないんよ」

そう言った私に


「統計的に言えば、40人クラスに2~3人はLGBTの子がいることになります。」

と、千野ちゃん




まじか、と、真崎




どう考えても、出会っていないわけがない




その状況に対して


「そういう子が周りにいなかった」


という私の認識





どういうことかは、ある程度想像がつく





「千野ちゃん、これは、怖いことしてしまった」


冷やしうどん食べながら固まった





「すべての子どもに素晴らしい教育を」


そう掲げるNPOに過去属していながら

そもそも「すべての子ども」から
たくさんの子どもを取りこぼしていた





そういう子がいた時に
どんな差別が起き得るのか


などという話以前の話で



『「無知」は人を排他し得る』

ということを知った




まずは、そういう子たちの存在を知って欲しい




いろんな人が教育について語っている

教育について熱い想いを持った
「意識の高い人」はたくさんいる




が、その人たちの目は


「すべての子ども」を謳うその心は


いったい、どの子どもを見ているのか


そんな、疑念





千野ちゃんの想いを聞いた

いろんなことを語った



LGBTのことも聞いた

不登校のことを話した




私は今

「いばしょづくり」という組織で

不登校支援の活動をしている



「「すべての子ども」から、取りこぼされている子どもたちがいることを、不登校に関わる視点から伝えてほしい。」



ということで

代表の阿部さんが講演することになった




んで、昨日参加してきました


「Teacher's Junction」




こういうイベントの感想を個人ブログで発信したことはおそらくなかったのだけれども



いつになく感じたことが多いイベントだった

なので、この所感は残しておこうと思う

伝えてみようと思う







次の記事で



真崎@焦らし




美空さんという方



私が横浜に来てすぐに参加した
不登校関連のイベント手伝いで出会った


周りが保護者の方ばっかりの中で

あんれー真崎より年下の子がいるーなんか可愛らしい子だなー



とか思ってたら

真崎より6歳年上だったパティーン





その日話した時間はそれほど長くないけど

直感的に一発で信頼おいた人




以来、「美空姉さん」と慕い


悩んだら電話かけ
落ち込んだら電話かけ
ヒマでも電話かけ
予定空いたらご飯誘い
度々家にも押しかけて



軽くストーカーかなってぐらい
お世話になってる





美空さんは「不登校経験者」



小学3年生の時に
担任の体罰が原因で学校に行けなくなり
中学3年生まで不登校

その後高校には行かず
働いたり専門学校に行ったり





ふたりでよく言ってるのは


「私たちって本当に真逆の人生歩んでるね」

「この出会いでお互い価値観広がってすごいオトクな感じだよね」




不登校になったら高校行けない
不登校になったら進学できない
不登校になったら人生終わり


そう言っていた生徒さんや保護者さんに

一番会ってほしいのが、美空姉さん






美空さんのブログも好きです


「頑張ることと頑張らないこと。」

「不登校の時の気持ち」




率直な感情と刺

その奥にある優しさが

個人的にはものすごく心地よく








そんな美空さんにインタビューしてきたよ







秋葉原で

美空姉さんの聖地で



(画像はイメージです)









そのインタビュー全部はここに載せないけど

「せめて、真崎らしく」ブログに
どうしても載せたいことがあって


書くよ





4時間に及ぶロングーインタビューで
美空姉さんの30年間分の話を聞いた


不登校の時のことも
こと細かに聞きまくった

それでも余すところはあったと思うけど





インタビューの終盤


美空姉さんがこう言っていた





"不登校"でトクしたことは多かった!」






その「トク」が、深かった



伝えたいっていう欲求が
ぶわああああと血管巡った







美空姉さんが「トク」したこと





「不登校の人がいても、私は差別しない。なんかあるんだろうなって思えるよ。」



「自分が不登校をして、中卒で働いて、夢のために専門学校も行って、東京に出て働いて。生き方って、いろいろあるなって思う。」



「だから、「大丈夫だよ」って思える。」







「あとは、私が「不登校でした」って言うと、意外と周りが「実は自分も」とか「私はこの時期に」とか言ってくれたりした。」



「なんか、日本って「悪いことにはフタ」っていう空気があるって感じるけど、でもみんな本当は
「弱みを知ってほしい」んじゃないのかな。」




「私の場合は「不登校」で、学校に行っていなくて勉強が抜けていたから、計算や漢字、あとはみんなが当たり前に知っていることを、周りに助けてもらいながらやっていたりした。」



「みんな、すごく優しかったよ。」



「弱みを見せると、周りも見せてくれたり、「繋がるきっかけ」になるって思った。だから、弱みがあることは悪いことじゃないって思える。」








「私は高校や大学に行けなかったから、逆に高校や大学に魅力が見えることがあるよ。」



「働き始めてしばらくしてから、私は自分で小学校の勉強からやり直してみることにしたけど、すごく楽しかった。やり方が分かるのとか、頑張って解いた問題が合っていた時とか。」



「勉強ってなんて楽しいんだろう」ってすごく感じた。」



「高校って、別に中学卒業してすぐに行かなくても、行けるじゃない?もし今高校とか大学に通えたら、私すっごく勉強楽しんでできる気がする。「もっと勉強したい」っていう気持ちになると思う。」







「それで思い出したけど、私は不登校の時に、親からムリヤリ勉強させられたことなかったんだ。」



「もしあの時、ムリヤリ勉強させられたり、ムリヤリ高校進学させられてたら、きっと私はいま勉強嫌いになっていて、こんな風に「楽しい」とは思えていなかったと思う。」



「高校に行くのもいつでもいけるし、勉強も「やりたい」と思った時にできる、そんな自由がある。ちょーどいい時は自分で選べる。」




「いま勉強が楽しいと思えるのは、「親が今のタイミングまでとっておいてくれたんだ」って感じます。」










「なんだろうな、結局まとめると





『なんとかなるよ』





って伝えたいです^^」






真崎




今年1月頃に
ブックオフで105円で買ったエッセイ


ふつうがえらい (新潮文庫)/新潮社

¥529
Amazon.co.jp



「ふつうがえらい」

っていう本の名前


「私嘘つきなの。嘘つくの大好きなの―そう言って、佐野洋子はふっふっふっと笑う。オンオン泣いて、ゲラゲラ笑い、ホンネを吐いて生きるのを楽しむ。「正義」ってものが大嫌いで、好きな人とはめっちゃくちゃ愛しあう。ハハハ、だって勝手じゃん。嘘のようなホントもあれば、嘘よりすごいホントもある。」

っていう裏表紙の文章



たぶんこの人好き

って、直感的に買ったエッセイ



「佐野洋子」
という人物については調べず
エッセイの中だけで彼女を知る


絵本書いていて
エッセイ書いていて
面白い文章書いていて
年齢はわりと高齢で
あとは息子をこよなく愛している




この人の文章には嘘もキレイもない

そんな感じ



子どもなんて
絶対持ちたくなくて
ずっと自分も子どもでいたくて
生まれる寸前まで嫌だったのが

生まれてオギャーと対面した瞬間から
「おー赤ちゃん私のかわいい赤ちゃん」という気持ちが爆発した


的な描写がすごく好き



自分の子どもの可愛さに驚きつつ
隣の母親が抱く赤子は猿にしか見えずに
「第一毛も生えてないかわいそう」と


こんな描写もすごく好き






短いエッセイ集の中にある

『息子買います』という話



なんとなく、抜粋して載せたくなった




このブログを書くにあたって
もっと佐野さんを知ろうと思い


「佐野洋子」と検索したら
4年前に乳がんで亡くなっていたことを
wikipediaが教えてくれた



よく分かんないけどちょっと泣いて

佐野さんに気持ち敬意を払って



以下、『息子買います』より


中略しつつ抜粋






***********



私は子どもを持ちたくなかった。


子どもを持てば親にならなくてはならない。親になったら自分は子どもでいられなくなるではないか、と明確に意識していたわけではないが多分私はずっと子どものままでいたかったにちがいない。




で、私は自分の赤ん坊を持った。


オギャーという産声だけで、まだ面も見ていないのに、わたしは、あー赤ちゃん、わたしの可愛い赤ちゃんと体中が叫んだのですね。


これは不思議の始まり、すべての可愛い始まりだった。




私は赤ちゃんを抱いて、オーオーオーかわいいかわいい私の赤ちゃんと言いながらせまい団地の六畳をぐるぐる回った。そして窓から道ゆく人に叫びたかった。
私の赤ちゃん、可愛いんだから、見なさいよ。


私は夫に言った。

「ねえ、うちの子だけどうしておとといより昨日、昨日より今日の方が可愛くなるのかしら、ああ明日はもっと可愛くなるわね。」






そして二十年たった。




まあそりゃいろいろあったわさ。



殺してやろうかと出刃包丁をたたみにつきさしたこともあった。

馬乗りになって泣きながらぶん殴ったこともあった。

何でうちの子にかぎって、と横ずわりした新派の女優のように泣いたこともあった。




私は、デパートで子どもの売り出しがあったら、どんな秀才、どんな気だてのいい子、どんな美貌の子が並んでいようと、我が子を迷う事なく買う。
二十一歳のぬうっとした不細工な息子であるけど。



しかし考えてみると、デパートで親を売り出したら、私は自分の親だけは買いたくないわね、もっといい親を買う。


息子も私を買ってはくれないだろうと思うが、それでいいのだ。

だって、あんな可愛いって思わせてくれたんだもの。

どんなこともチャラにしてやれる。



親って何だか阿呆ですわね、

世界中どんな親も。




**********





私は「母」になったことも「息子」になったこともない


という事実に開き直って書きますと



今いろんな子どもと関わっていて
母親と口を聞かない子や
口を開けば罵詈雑言をぶつけるという子もいて




そんな中で


もしかしたらそんな中だからこそ



すごく感じてることがありまして





それが、もう

なんか、もう


ものすごく乱暴な持論になるんですけど





「男は結局みんなマザコンなんじゃないか疑惑」


を絶賛抱いている最中でして



なんだか怖いので

※但し時と場合と人よる

という
逃げ口上の注釈はつけまして





二十一歳のぬぅっとした息子さんは

デパートで母親の売り出しがあったら



たぶん、佐野さんを買う気がするんです






今日は母の日



私には兄がふたり

盛大に母に感謝しろ息子ども!
(娘は高みの見物)



真崎