せめて、真崎らしく。 -13ページ目

せめて、真崎らしく。

そんな感じです。

 
 
電話 
 
 
今日から実家帰るし
今から家出ようかなってタイミングで   
 
 
ディスプレイには「ちゅーこ」
 
  
 
「もしもし」
 
「真崎、北海道ちゃうんか」 
 
 
ちゅーこ  元ヤン 
  
 
 
彼女は今大阪で働いてるけど
今こっち来てて

明日ニューホープの10th アニバーサリーらしく、ウェイン牧師さんってゆう有名な人が来るとかで

私も以前から誘われてたけど
8/10は北海道にいる予定だったので断った 
 
 
予定変わって東京の村行って
8/10どころか3日にはもう横浜戻ってた
 
しかしもう今日は実家に帰る
アニバーサリーのことも抜け落ちてた
 
 
 
ちゅーこの誘いは
アニバーサリーじゃなくてたこパだった

今からみんなでやるしおいでと
 
  
 
いやいや今からて
 
今から実家ですからーて
 
 
「えー真崎ーえー来やんのー?」
 
 「じゃあ今から夜行バスぱっと探してもし空席あったら神様の導きってことで昼たこパ行って夜それで帰るわ。」
 
 
お盆の繁盛期に
そう簡単に夜行バスがとれるわけない 
ましてや当日なわけで
 
 
と思ったら3秒で見つかった
ハレルヤ
 
 
 
 
出会った時から態度でかすぎて忘れがちだけど彼女は2個年下

出会いは真崎大学4年の春 
熱気に満ちたセミナールームで
 
 
たくさんの学生がいたあの部屋で
派手な見た目とデカい態度

仲良くなりようがないと思ってた彼女と
なぜか今でも繋がってる
 
 
真っ直ぐで単純で 
感情に正直で
思ってることは全部顔に書いてる
 
元ヤン(噂)で口悪いけど
嘘つかんし思ったこと言うし
「腹立つ」「それ嫌」と全開でぶちまけてくれるのでありがたい
 
思ったことちゃんと伝えようって姿勢は
彼女からけっこー学んでる 
 
 
 
 
ちゅーこはクリスチャン 
 
 
かんなり純粋な信仰心を持ってる 
 
 
ちなみに私は
クリスチャンじゃない 

たまに聖書読んだり教会行ったりする感じ

 
 
去年の今頃 

前々職をクビなったときも
それで精神的に荒れてて怒りと哀しみでいっぱいだったときも

前職で心折れてたときも
「君は今底辺にいて誰からも信用されていない」と言われて荒んでたときも
 
 
大体ちゅーこに連絡してた

家にもよく行った 
  
 
いっしょに聖書読んで
いっしょに肉食べて
いっしょに酒飲んで
いっぱい祈ってもらった 
 
 
誕生日の時も病んでたけど
ちゅーこに沖縄料理屋で祝ってもらって
次の日いっしょに「風立ちぬ」見に行って
あのシーンは黙示録だの
伝道者の書思い出しただの
聖書ベースで感想言ってて
 
 
そんな感じ
 
 
 
ちゅーこは来年くらいかに神様の導きに従ってハワイで働くっぽい

今は学童保育のお姉さん(元ヤン)としてどもたち相手に神様伝えてるっぽい

子どもたちは純粋すぎて大人と違ってオープンに悪気なく罪深いことするから大変だって
 
「うざい、死ねとか普通に言うてくるからな。そんで殴ってきたりするから、そしたら「じゃあ私もうざい死ねって言うて殴ったろか!?それされたらどう思うねん!」とか普通に言う。そしたら「…嫌。」って言うから「じゃあもうすんな!」って言う。」 
 
だって
 
 
そんなこと言いながら、子どもたちのためにいっぱい祈ってるんも、知ってる 
   
 
基本ええやつ
 
会ったことないし分からんけど、たぶん子どもたちはちゅーこを好きな気がする、たぶん
 


 
私の知ってる不登校生の子で「義務である「通学」ができない罪深さを神に泣きながら懺悔するクリスチャン」がいるんだって話してみた 
   
 
それ罪ちゃうよな、っていう
  
 
 
「罪ちゃうからなそれ。学校行かんでもええやん。罪ちゃうって言うたってや真崎。そのためにおんねやろ。」
  
 
信頼に足る、元ヤン
 
 
 
 
ちゅーこ、そんな感じです
 
 
 
ちなみに元ヤンなので当時のあだ名は「ヤンチー」

補足でした
 
 
真崎
 



真崎ブログでこういう記事は初めて


こういう【お願い記事】みたいなのは
個人的になんとなく苦手で避けてました




だけど


今回はどうしても伝えたくて

ブログで書いてみます






今、「東京ガールズコレクション」という大きなオーディションが開催されており

すでに2次審査が終わって

現在3次審査に突入したようです





その3次審査で奮闘中の


「高井美柚さん」


という女の子がいます

高校1年生です




上記リンクから彼女のページにとべます











3次審査の内容は「WEB投票」



AmebaIDを持った人に投票権があり

女の子たちに投票します

1クリックで投票できます





「投票してあげて下さい」


っていうのは、なんか分かんないけど

高井さんに失礼だと思ったので



良かったらぜひ

URLから彼女のページを見て

声やブログや歌を聴いてもらって




その後、もし良かったら


投票してみてほしいです








彼女との繋がりは詳しく書きませんが


私の大切な友人です






このオーディションは

彼女の夢に直結しています




いろいろ彼女と話してきたことを思い出すと


このオーディションに参加すること自体

本当に本当に本当に本当に大きな挑戦であることは、容易に想像がつきます





本当に純粋な気持ちで


純粋に夢を追っての挑戦、だと感じます





彼女の挑戦を聞いたとき

胸が震えて涙が止まらなかったです





いろんな悩みはあれど



彼女が夢を追う姿

彼女が挑戦する姿



それ、そのものが

私はたくさんの人に希望とか勇気とかそういうのをいっぱいくれるって勝手に確信しています









こういう審査は

もちろんその子自身の魅力で投票を得る



も、あると思いますが




その子それぞれの「人脈」や「web戦略」を駆使したマーケティングの色もかなり強いはずです



そこに強い子が
必然的に上位に来やすい審査だと思います






私の拡散でどれだけの人に広められるのかは知れていますが


本気で応援したいし


9月6日は予定空けて決勝戦応援しに行くつもりでいます




「高井美柚さん」



投票はひとり1日1回

内心ひとりで1億票くらい入れたいけど無理らしいです





良かったら

一度見てほしいです



そして良かったら

一緒に応援してほしいです




よろしくお願い致します




真崎





ふえるわかめを水につけたら

びっくりするぐらい増えてちょっと怖気づいてる






続き

『誰かのために』っていうのは~思うの、のやつ






結論から言えば




①重松さんの書く「誰かのために」は究極の他責


②「自分のために」でも「誰かのために」でも別にどっちでもいい


③むしろ個人的には全力で「自分のために」生きてほしい








以下詳細




①「誰かのために」が「究極の他責」説




許すことが強さだとすれば
未だに許せずに自分の弱さを感じることがある

その対象となっている
ある人の話



出してごめんなさい




「自分のことをすべて犠牲にして、全部他人のために努力して時間と労力を捧げてきたのに、結局その人たちが自分のことしか考えておらず、他者に依存・利用することしか考えていない結果、その人のために自分がやったことは全て踏みにじられた。こんなことなら最初から自分のために全部やれば良かった。」




私はその人にとって

「自分のことしか考えておらず、他者に依存・利用することしか考えていない」にあたる人物





「誰かのために」

このケースなら「私のために」




「私のために」なにかをやってもらったら


そこになにかしら
相手に対する結果や見返り
少なからず「感謝」はするべき



される側目線で言うなら

そう思うのが「善良」だと思う





する側の目線



今なら断言できるけど

「される側」になにかを求めるのは危険



【彼らは何に似ているか。それは、子どもたちが広場に座って、互いに呼びかけ、『わたしたちが笛を吹いたのに、あなたたちは踊ってくれなかった。弔いの歌を歌ったのに、泣いてくれなかった。』というのに似ている。】




「自分は~~したのに、相手は~~してくれなかった」



そんな「誰かのために」には


表裏一体で「誰かのせいで」が潜んでる




そんなことを思う





「究極の他責」

と表記する所以は



「誰かのために」という言葉を

自分の責任の隠れ蓑にしている気がするから






話は逸れるけど



「あなたのために言ってるのよ」



ほど、ありがた迷惑なものって、ない








②「自分のために」でも「誰かのために」でも別にどっちでもいい



自信満々で
「誰かのために」生きていることを
まるで疑わなかった私


は、去年1年で脆くも消える




1社目をクビになり

2社目を2ヵ月で退職し

3社目(←イマココ)でも最初は散々で




ずいーぶん、病んでた

すこーぶる、病んでた





子どものために~

親御さんのために~







「誰かのために」生きてる私が

自分の悩みくらいで立ち止まるの?



それダメじゃない?

崇高じゃなくない?

社会にいる価値なくない?

あんたいる意味なくない?





えぇえぇ

そうなんですそうなんです

だから私は悩んでる場合じゃないのです

動かなくちゃいけないんです

誰かを喜ばせなくちゃいけないんです

社会の役に立たなくちゃいけないんです

子どもの心に寄り添う人じゃなきゃいけないんです

人の幸せを願える人じゃなきゃいけないんです

「誰かのために」それをやりたい人であるはずなんです


それが幸せなはずなのに自分が苦しくて泣いているなんてそんなことあっちゃいけないんですえぇそうなんです






書くと、危ない 怖


でもほんとこんな感じだった






本気で仕事辞めようと思った時

自分の中でぶっつり糸が切れて



自分の中の「優等生」を捨てて

「誰かのために」なイイコちゃんを捨てて

本音を上司にこれでもかとぶちまけた





もう自分のことしか考えていない

まじ他人なんてどうでもいい

自分の心に嘘ついてまで「他人のために」なんざもう無理



そんな開き直り







言って、

それを受け入れてもらえて、





すごく極端に言えば


そこから変わった


気持ちも行動も






このエピソードで伝わるか分からないけど


この時以来




私は誰がなんと言ってこようが


「自分の幸せを一番に考える」


ってことが大切だと思ってる







その出来事から今私が思うのが



「自分のために」でも「誰かのために」でも別にどっちでも良い、ってこと




それらが対極にあるという前提が間違い

結局限りなくイコールに近い関係だから

別にどっちでも良い


と、思う





「自己犠牲」と思っているうちは

心の底で他人を恨んでしまう



自分の利益のみを追求したとき

物質的幸福の裏で精神的幸福に霞みがかかる





すごくきれいごとを言うなら



結局、人ってつまるところ

「お互い幸せ」が多分いちばん幸福感高い





「自分のために」

を本当の意味で追求するなら



「他人のために」

からは、多分逃れられない




それは、逆もまた然り、多分








ゆえに



③むしろ個人的には全力で「自分のために」生きてほしい



って、今はすごく思う





その方が、なんとなく


自分も周りも、なんか幸せな気がして


なんか潔くて、なんか気持ち良い





「誰かのために」もすごく尊い

その一方で



「自分のために」

自分をいっぱい大切にいっぱい幸せにしてほしい









って



美空ねえさんが言ってました




真崎@他責