せめて、真崎らしく。 -10ページ目

せめて、真崎らしく。

そんな感じです。

  
  
今の職場に来てからもうすぐ1年
  
  
面接をしてもらった日まで覚えてる
それは去年のちょうど1週間後
  
  
  
  
  
  
いろいろ思い出す
  
  
思い出に浸るとか土曜日の夜っぽい
  
  
  
  
それまで
  
1社目を2ヶ月でクビ
2社目を2ヶ月で自主退職
  
  
  
わりと絶望のドン底にいて
雇ってもらえたこと自体が奇跡って思って
  
  
でも今まで「働く」を継続できなかった自分を自分自身がこころの中で信用できなくて 
  
  
案の定、働き始めた当初に
たくさんたくさんたくさんのことが上手くいかない
  
  
  
  
自分のミスや心がまえひとつで
子どものこころを簡単に傷つけられる場所
  
  
それをとても感じで
それがすごく怖いと感じて
本当に逃げたくなって
  
周りからの叱責1つに過敏になって
検討違いな思い込みと
自分自身への情けなさから
もう逃げたくて逃げたくて仕方なくて
  
  
  
その度に、いっぱいの人に助けてもらった
  

んもう、それはもういっぱいいっぱい助けてもらった
 
  
  
  
たくさん泣いて
たくさんの人に弱音を吐いた
  
  
今だから言えば
もうとにかく情けない自分と向き合うのが嫌になって
楽な方へ逃げたくなって
  

「辞めます」「辞めたい」
  
って言ったのも
入社半年くらいまでは何回かあった
  
  
  
その度に
  
今の直属の上司がタイマンで話す時間とってくれて、話聴いてくれて、それで気持ちがスッキリして「あーもうちょい頑張ろ」って思って
  
  
立ち止まりまくり泣きまくり文句言いまくりの超面倒くさい部下
  
ギリギリんとこでいつも受け皿くれてた上司とか、他のスタッフの方とか、そこでできた繋がりの方とか、あとは今までの仲間とか
  
  
そんな方たちの存在ありきで
  
他の人からしたら普通やけど
こんな自分やけど、2年目を迎えられそうな感じ
  
  
正直、けっこー感慨深い
  
  
  
  
  
人、というところの安心ありきで

自分の情熱である「子ども」ってとこと真剣に向き合わせてもらってる
  
  
  

いろんな方にいろんな心配をかけたけど
  
  
「感じていること」は事実らしく
だからここに書いたことは私にとっても誰にとっても紛れもない事実
  
  
  
感じてきたこと
  
それ以外のなにものでもない  
それ以外のことはすべて他者の解釈でしかない
  
  
  
私の気持ちは、私のもんだ
  
  
誰にも脚色なんかできない
  
  

  
  
  
別にこのタイミングで決意表明することでもないんだけど
    
  
この組織に入ってから出会ってめちゃくちゃお世話んなってるお姉さんとさっきまでいっぱいお話してきて
  
  
こういうことを書いてみたい気持ちが湧いたから
  
衝動的書きなぐりなので
いつもより稚拙な文章
 
  
  
  
  
組織の人たち含め、関わってくれて支えてくれた人たち皆さんにいっぱい感謝しつつ
  
  
私がここにいる目的
ここにいて向けるべきベクトルは
そこじゃなくて
  
  
心にいっぱいのものを抱えている
子どもとか、大人とか、家族とかであって
  
  
それはブラしたくない
  
  
  
だから「ここで頑張る」という選択をすることに自分自身で責任を持つ
  
もう他責にはしたくない
  
  
人のせいにして環境のせいにして
精一杯自分を正当化して誤魔化していた1年前の自分にはもう戻らない
  
  
  
  
「自分を生きる」
  
ってそういうことやと思う
  
  
  
  
  
自分のこころが信じるものを信じて
  
  
自分のこころが求めるものを追って
  
  
自分のこころが燃えるものに人生燃やしたい
  
  
  
  
引き続き、頑張る
  
  
  

愛と平和
  
  
おにぎり食べたい
  
  
  
真崎
  


  
  
金城一紀の「GO」を読んだのが
  
たぶん中1のとき
  
  
  
おじいちゃんおばあちゃんと本屋さんに行ったら、それまでは必ず漫画を買ってもらっていて
  
おばあちゃん出資のもと「明稜帝 梧桐精十郎」を集め終わった頃だったと思う
  
  
  
きっかけは覚えてないけど
その時に漫画じゃなくて小説を買おうと思って
   
  
理由は覚えていないけど
その時になんとなく選んだのが
金城一紀の「GO」
  
  
窪塚洋介と柴咲コウ主演で映画化されてたやつ
  
  
  
それ以来、小説をよく読むようになって 
  
好きな作家さんができたら
とにかくその人の書いたものを読みたくなって
  
金城一紀さんの本は多分全部読んだ
  
  
  
私が金城一紀を好きなのを知ってか
  
ある日お父さんが金城一紀の本を買ってきてくれた
  
  
  
それが
  
「フライ、ダディ、フライ」
  
  
  
  
  
飛べ、親父、飛べ
  
  
  
47歳の冴えない中年サラリーマン
  
愛妻と愛娘の日常が
ある日突然崩壊
  
  
傷ついた娘を迎えに行くために
親父と「問題児高校生」たちの特訓の夏が始まる
  
  
  
的な
  
こんな説明でいいのかな
  
  
  
  
ハの字眉毛に撫で肩
髪の毛は物心ついた時からわりと禿げてた
  
そんな真崎家の親父から
思春期真っ只中の娘に手渡されたその本
  
  
ハードカバーだったか覚えてないけど
表紙には、鼻血、眼帯姿の親父のどアップ
  
  
  
  
「フライ、ダディ、フライ」
  
  
私にとって、なんか大切な作品
  

  
  
を、仲間の誕生日にあげたよ
  
  
  
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「良いお父さんになる」
  
ってのが目標の仲間
    
  
   
  
想像力を、恐怖と不安に支配されたら、身体は動かない
  
  
娘をボコボコに殴りつけた男に飛びつくことも
  
傷ついた娘を抱きしめてあげることも
  
  
  
  
  
「今日こそは、のぼってやる」
  
  
  
いい親父になるのだ、けんぞー
  
  
  
真崎
  

 

  
  
愛!!!と!!!平和!!!!
  
愛!!!と!!!平和!!!!

愛!!!と!!!平和!!!!


悲しみで花が咲くものか!!!!!
    
  
  
  
  
  
  
って、サンボマスターの人が言ってた
  
  
  
  

その歌を聴いていたまさにその時
「口は災いのもと」を学んでいた私  
  
しゃべることだけじゃなくて
ネット上での発信も含め
  
    
  
クリスチャンの友達は
「真崎の舌を守ってください」
って祈ってくれてた
  
  
  
舌、暴走してた

災い製造機になってた
  
  
  
  
負の感情のままに発信する言葉は
たとえそれが「正しい」とおぼしきものであっても
なにひとつ良い成果を生まない
  

むしろ、わりと失う
  
  
  
  
冷静になったときに
そんなことに気付いた私は
  
  
「心乱れて誰かを否定し傷つける言葉を発信しようとしてる自分に気付いた時は、その言葉を1度飲み込んで、その代わりに「愛と平和」とつぶやく」
  
  
という
  
  
【愛と平和プロジェクト】
   
  
を始めることにした
  
    
  
  
それが大学5年生のとき
  
影響力はバツグンで
微塵も流行らなかった
  
  
  
ただ、苦しくて腹立だしくて爆発しそうな気持ちで出てきそうな言葉をウッと飲み込んで、振り絞るようにTwitterでつぶやいた
  
「愛と平和」
  
  
その4文字の投稿に
  
  
  
「愛と平和  RT@真崎  愛と平和」
  
  
みたいなレスをしてくれる人が増えた
  
  
  
  
ちょっと嬉しくて

そんなちょっとした嬉しさにほかほかしてる間に気付いたら負の感情と言葉がどっか行ってた
  
ってか結構どーでもよくなってた
  
   
  
なんてことは、意外とよくあって
  
  
  
  
  
  
  
ここ約3日間ほど
こころの中で人を裁きまくった
  
  
人を否定したくて否定したくて
たまらなかった
  
  
存在そのものまでって勢いで
「あなたは間違っている」
を突きつけたい衝動に駆られていた
 
  
事実はあっても
人の中に真実はないんだって
事実を自己都合フィルター抜きで見られてる奴なんざ誰もいないじゃないかって
結局都合の良い解釈の世界に生きてんじゃないかって

  
  
そんなことを強く感じて
すべてが滑稽で馬鹿馬鹿しくて歯痒くてウザったくて総じて悲しくなった 
   
  
  
  
  

いよいよ今日人を傷つけそうだった
  
あぶなかった
  
  
  
  
  
連絡することにした相手は、りなまま
  
  
感情的だったけど
ここだけは賢明な判断ができたと思う 
  
  
  
  
  
できることはふたつ、だって
  
  
  
「相手を赦し、相手のために祈りなさい」
  
  
  
「今から自分がしようとする行動が生むものが「平和」なのか「争い」なのかを問いなさい」
  
  
  
  
  
電話終わってから、祈りまくった
  
嫌すぎて途中ウーウー唸りながら
たまに悪態はさみながら
  
祈った so much
  
  
  
  
終わったら全部どうでもよくなってた
  
  
負の感情と負の言葉

ド一過性
  
  
  
  
  
自分の力でどうにかなんてできない
  
  
人間が神様になろうとすること
つまり「自分が絶対正しい」の位置に立つことは無理
  
  
  
勝とうとするために
自分の正しさを認めさせるために
  
誰かを負かし
誰かを否定して
  
  
そこにあるのは
ただ短期的な「勝った感」
  
長期的に見てその先にあるのは
「ひとりぼっち」
  
  
  
そんな「勝負」はいつだって諸刃の剣
しっかりと自分の心蝕んでる

  
  
  
そんなことは
何度も見てきたし経験してきたはずなのに
  
それでもまた繰り返そうとしてる
  
まあ、そんなこともある
  
  

  
  
  
争いではなく平和を生み出すための行動を選択すること
  
  
舌が暴走しそうな時はウッと堪えて「愛と平和」とつぶやいてみること
   
  
相手のために祈ること
  
  
  
  
  

【愛と平和プロジェクト第2弾】
   
  
またここから始めてみましょ
  
  

真崎