「マニュアル」に対する個人的感情 | せめて、真崎らしく。

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そんな感じです。




「不登校の子と1番最初に関わることになった時、会社の人に「不登校の子と関わる時に気をつけること」として言われたことが




・「勉強」という言葉を使わない

・「学校」という言葉を使わない






いざその子と初めて顔を合わせた時に
挨拶の直後その子に言われたことが




『本当は学校に行って勉強したいんです』


 


いきなり"NGワード"両方とも言われましたからね。笑」






先週の土曜日のセミナー

上司が自己紹介の時にお話されたこと



笑い話テイストではあったけど


つまるところ
なにがおっしゃりたかったのかというところは、なんとなく伝わる







「不登校支援」


と呼ばれる業界に来てから
2つの組織に身を置かせてもらったけど

そのスタンスは正反対で




「その不登校を短期復学に導く」

「不登校でもイイじゃん」




「まずは一言一句マニュアル通りに話せるようになることから」

「マニュアルをつくることにそもそも無理がある」













リストカット






・傷があってもこっちから話題に出してはいけない

・「やめなよ」と言ってはいけない

・話してもらったら「話してくれてありがとう」と言う



それぞれ聞いた場面は違うけど
そういうのを聞いていて






例えば先日
リスカしてる子に対して



・これ痛そうやで。大丈夫なん?

・痛いやん。やめときよ。←痛い推し



って自分が言ったことはマニュアル違反で

この文章も見る人が見たら「ありえへん」と思うんかなって

その日の帰りにふと思った




前提として「それを話せる関係性」ができている肌感覚があったってのはあるけど



その後その子が
 


「逆にそれくらいズケズケ聞いてくれた方がいいです笑。基本的に腫れ物触るみたいに関わられますけど逆に気まずいですし笑。」



ってことを言うてて

はーその子はそう感じるんやーとぼんやり思った記憶がある







これまた「不登校」でくくると
そこでまたギャップが生じるので


「私が出会ってきた不登校(特に経験者)で当時の話を伺ったことがある人たちの多く」



という風に言うと




その人たちは
個人的に気持ち良いひねくれ方、というか鋭い感性を持ってるなーって感じることが多くて




「当時の大人の関わり方とか言葉かけがすごく"マニュアル"っぽくて、「ああ、こういう風に言うことになってるんだな」と思ってすごく冷めて、適当に分かったフリしたり完全に無視したりしてました。」






これは不登校とか不登校支援どっちゃら抜きにして



自分自身がすごく「テンプレ」的な言葉がけをされることに対して



「自分の言葉で喋ってよ」

って突っかかったり



「なんかすごいこころの距離感感じるわ」

って哀愁漂わせてみたり(めんどくさい)




つまりはまあ「嫌だ」とか「「その人」と話したい」って感じることが多かったから、その経験者の方々の言葉にはとても共感させてもらった




「相手が自分のつらい経験を話してくれているときは涙を流せたらベスト」

 
というマニュアル見て
びっくりしたこともある


嫌ですー無理ですーって嘆いてた
 

自分が逆の立場なら
マニュアル通りの涙で同情されるとか屈辱




なんでも自分に起因させるのは
それはそれであかんけど



でも、それはなんぼ言われても、ない






 
個人的には

人との関わりにおいて





マニュアルがあかん


マニュアル化は無理





というよりも












マニュアルでこられたら、なんか寂しい











あ、これや


今書きながらストンと落ちた







横浜駅着いた


トイレ寄っていこ!(常連)



真崎