「正しいこと」が特に正しくない件について | せめて、真崎らしく。

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そんな感じです。




小学生の時にはまって
全巻集めた漫画の中に


「明陵帝 梧桐勢十郎」


というものがありまして






(梧桐くんは右下のツノ頭)




嘉神くんという「正義感溢れた」男の子がおりまして



主人公は傍若無人な暴君生徒会長の「梧桐勢十郎」でして



嘉神くんは「悪」を憎む「正義感溢れた」男の子でして



梧桐くんは「殴りたいから殴ったに決まってる」というセリフのように「悪役」っぽく見せる系だけど芯が強くその言葉はいつも本質をつく実は真っ直ぐ男子でして



「悪」を許せない嘉神くんにとって梧桐くんの存在は「悪」であり根絶しなければいけないものでして



ある女の子を巻き込んだ出来事からふたりは猛烈に憎み合う存在になったわけでして



最終決着をつける場面で互いに殴り合いなあがらなおも自分の「正義」をかざす嘉神くんがおりまして



そんな嘉神くんに梧桐くんは凄まじい頭突きをかましながらこんなセリフを言っておりました










「貴様の言う形だけの「正義」など吐き気がする」














悩みを抱えた子どもの話をきいていたり

ネットでの書き込みを見ていたりしていると




最近よく入ってくるのが




「親や先生の言ってることが正しいのは分かってるけど」



「正論ばっかりで疲れた」



「どうせ自分がおかしいし間違ってる」




的なものでして






そういうケースを詳しく聞いてみて


私自身強く感じるのが





・周りが言ってることは「一般論」


・「一般論」は「正しいこと」ではない


・ただ単純に「多くの人が思っているであろうこと」なだけ


・だから「正しい」にはならない


・なので別に誰も正しくない


・なので別に誰も間違ってない








最近、ふと考えたんですけど





今、高校生の生徒に

「論理と命題」という数学の単元を教えておりまして




「a(仮定)ならばb(結論)である」


という【命題】がありまして




これが「真(正しい)」か

もしくは「偽(間違い)」か



を、答えなさいという問題がありまして






例えば


「A×B=0ならばA=B=0」


みたいな問題




真か偽か








まぁ、偽なんですけど




偽の場合には

「反例」を述べるんですね



この問題の場合

反例は「A=0、B=3」

とか









命題





「学校に行かなければ(仮定)立派な大人になれない(結論)」



「勉強していい大学に進学しなければ(仮定)就職できない且つ幸せになれない(結論)」



「他の人もみんな頑張っているのであれば(仮定)あなたも頑張らなければいけない(結論)」






命題の時点で
すでに曖昧な表記が多すぎる
(立派、いい、幸せ、頑張る)


という指摘はさておいて




最後のものに関しては

すでに論理破綻甚だしいとして





どうも話を聞いていると

上記に書いた「仮定」の部分が

子どもが疲弊している「周りからの正しさ」の最たる例のようでして






ひとまず



不登校関連も含めて
いろんな人に出会えたおかげで



この命題の「偽」を裏付ける「反例」だけは


たくさん、あります







反例がある時点で

命題は「真」ではないです




だから、別に正しくないです




「論理と命題」の問題だったら

むしろ間違っています




「真」だと言い張る人は

目の前に証拠を積んで「反例」にあてはまる人の存在と幸福を全否定した上で改めて主張してほしいです







強引な理屈だけど


でもそういうことだと思うので




とりあえず


周りが「正しそうなこと」を「あなたのことを思って」言ってきてくれていたとしても





別に正しくないので


流しても大丈夫だと私は思っています







そんな言葉よりも



「それが正しいって自分も分かってるけど

でもどうしたって、今は動けないしとてもつらい」




という


そこで感じている気持ちの方が




周りからの「正しそう」なことよりも


ずっと大切な「本物」です












嘉神くん梧桐くんが

東京ドームで闘った際



その闘いの最中に

梧桐くんが言ったこと









「人には理由があり、その時点で真の正義など存在しない」






真崎 ©かずはじめ