「FUTON」 中島京子より トウキョウと広島、そして宝塚のこと | muchaholyのブログ

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人は何か大きなストレスを受けるとPTSDを発症することがある。

そして、個人だけでなく一つの国とか、国民全体の傾向とかそのようなものも後遺症を引きずることがある。

 

後遺症は災害の大きさとか残酷さと比例しないという。

その後のケアによって変わってくる。

 

傷は長いことかからなければ癒えることはないし、完全に癒されると言う保証はない。

 

けれど、ヒロシマは少なくとも8月がくるたびに世界中の人が涙を流す。それが十分なケアかどうかはわからない。しかし、街が復興して、二度とあの悲劇的な兵器を使われてはいけないことを世界に知らせるための新しい使命を帯びたときに、ばらばらになりそうだった街自身の魂は行き場を失ったりはしなかった。

 

それに比してトウキョウは、二十世紀のうちに二度も焼き野原に覆われたことがあったのに、誰も思いだすことはないし、そのことを知らない人だって多い。

東京は、焼き野原になった記憶を閉じ込め、どんどん新しいものが建ち、そのようなことがなかったように、違う顔を見せていく。東京はある意味でディスオーダーを起こしているのではないか。

 

作者は、この本の登場人物にそう語らせる。

 

それを、読んだときに宝塚「宙組」のことがふっと頭に浮かびました。

 

6月末に、宝塚スカイステージの無料視聴期間があったので、宝塚ニュースで公演の模様や、公演後のレポートをしている番組を見たのですが、そこで「宝塚はあの悲しい出来事」をなかったこととして前に進んでいくのだなという印象を持ちました。

 

遺族と和解したから、もう終わり。内部ではそのことを語ることさえ憚られるのではないか、と。

 

そうであれば、表面的には解決したように見えて歌劇団はずっと病的なまま存続していくのではないか、と。

 

見ないつもりと言っていた人が観に行って、あんなに一生懸命演じているのであるから応援しなくては、と言っている人のなんと多いことか。

いや、公演そのものの再開は良いのです。それを観にいって応援するのも良いと思うのです。

でも、無かったことのように振舞うのは、決して癒えることのない何かを内部に抱えたままになってしまうのではないか、と。

劇団について、私が危惧する必要もないことなのですけどね、そんな心配をしてしまいました。

 

公演で何も触れなかったことについて、遺族に言うなと言われているからではないかとか、観客に向けて謝罪するのもおかしいって言っている人もいましたけれど、そうであったとしたら、歌劇団が新しくすすむためにも、遺族の了解を得るようにするとか、

公演自体の中でなくてもいい、公演再開の前にパワハラをしたと言われている組長、トップをはじめ上級生に何かしらの発言の場を設けて一区切りをつけてから公演再開すれば良かったのにと思うのです。

 

パワハラをしたとされる人たちも、言いたいことはたくさんあると思います。

それをしなかったのは、その人たちを劇団が守るためではなく、そのような場を設けて、劇団に不利な発言をされたは困ると言うような劇団の思惑があったのかもな、なんて思ってますけどね。

 

悪意はなかったので、劇団員は悪くない、責任は劇団にあるといいながら、劇団って何か責任をとってますっけ???

 

私は遺族ではないから、何も言うべきではないのか、とか思ったこともありました。

以前、私もこどもがあるので、遺族の立場になって考えると、なんて言ったこともありました。

でも、そんなことではなく、社会の構成員として、パワハラはいけないことだよ、という意思は示さなくてはいけないのではと思うようになりました。

 

厳しい指導とパワハラは違いますよね。

今度のことは、パワハラと認めたんですよね。そうであれば、改めて公演前に、何かしら世間に向けての発表があれば、多くの人がもっとすっきりとした気持ちで宙組公演を応援できたと思うと残念です。

 

劇団の対応によって、ファンも分断されてしまった感があります。もったいないな。

 

どんな対応をしたって、完全に癒されることはない。だけれど、はっきり傷む気持ちを表明していれば・・・・。と本を読みながら、宝塚のことを思ってしまいました。

 

「FUTON」という小説は、田山花袋の「布団」を妻の目線で書き直すアメリカ人文学者の作品「布団の打ち直し」という作品とそのアメリカ人文学者が若い日系の女学生に入れあげる話が同時に進行する作品。

冒頭のせりふは、日本にその女学生を追ってきた学者が、若い画家と知り合って、そのトウキョウの姿を描きたいという画家の言葉でした。

田山花袋の「布団」読んだことがなかったけれど、中年のおじさんが、家に女子学生への屈折した思いを描く作品なんですね。

それに発想を得て、このような作品をかけるなんて、小説家というものは恐れ入るというしかない。

 

宙組9カ月間公演がなかったんでしたっけ?

これってさ、まず最初にパワハラ認めて謝って、半年間公演自粛しますってことにしとけば、既に堂々公演再開できてたん違いますのん?

 

かえすがえすも、パワハラありません、被害者も加害者もありませんって、へらへら笑った会見が悔やまれますね。

 

 追記

あの記者会見された方のみを責めるのも違うと思ってます。

内容は、上からの指示だろうし、あのヘラヘラも緊張のあまり?場を少し和ませようとした?のかもと思います。

まあ、もう少し上手く話すことができる人はいなかったんかーい、と思いますけどね。