弟から貰った本を読んでいます。
すごくおもしろいし、楽しい。

心が浄化される言葉がたくさん。

こんな作品を読んでいると少し虚しくもなります。いつでもついてくるのは自分の心。

人の作品としてものを見てしまって、いいものに出会った感動よりも、悔しい気持ちになることを認めなければならない…。

表立って目につく仕事の中でも、役者には正直興味はない。カッコ良い人は好きだけれど、誰かの作品のコマであると言う考えが先に来るので、どうしても羨ましいとは思わない。

伊勢谷友介さんは東京芸大出身であると言うことからも想像出来るように、自分が製作者であると言う自覚がきっとあるからこそ、俳優と言われているのに映画を作ったりしているから、良いと思う。

…特に言いたいことはないけれど、そんなことを考えていました。

人に必要とされる人は、容姿端麗であるから必要とされると言う考え方はものすごく嫌である。

容姿がどれだけ良くても、それに越したことは確かに無いですが、やはりそれは違う。美しさに惹かれるのは、自分の子の子孫繁栄力が、容姿によって左右されるから、良いものを求めるだけであって。

人が人を必要とする時、求める相手は、他の誰にもないものをその相手が持っていて、尚且つそれが欲しくてたまらない気持ちから来ると思う。

人はいつでも人の暖かさが無いとさみしくなってしまう。生まれてすぐの赤ん坊が無菌室で隔離された時に、母親の愛情を3ヶ月受けることが出来なければ死んでしまうと言う事例があるらしい。

人は愛と呼ばれるものを求める生き物である。

それを得るためには人間で有る限り、たくさんの問題と言う壁に衝突する。人は本能から、自分に合ったベストな相手を選ぼうとする。

そのベストな相手が、好きな人にとって自分ではない時、それが失恋である。そんな辛い思いも生きていたら通らざるを得ない道なのでしょう。

人が人を好きになり、人が人と一緒にいるためにどうすれば良いのか。

生まれてきたわたしは、何故こうやって考えることが出来るのかしら。
地球は、自らに必要なものしか生み出さないと思うから。

わたしの心臓は何故動いているの?
それを見つけるのは自分。
それを教えてくれるのは、自分以外の人間だ。