テレビがつまらなくなったと言われて久しい。ある意味当たり前だろう。これだけ嗜好が分裂し、様々な楽しみが増えてくれば、一つの媒体で、全方位的に魅力を保ち続けることは不可能だ。新聞だって購読者が減っているし、雑誌だって苦しい戦いが続いている。どの媒体だって、その一部にはファンがいるものの、全面的にファン、という時代は、既に過去のものだ。
それを差し引いてもつまらなくなった、という声も多い。ニュース番組は、表層的で、深みがなく、あったとしても問題提起だけ。ドラマは、俳優の人気に乗っかっているだけ、毎クール順列組み合わせの出演者。スポーツは、一方的に騒いでいるだけ。特に国際試合は応援に名を借りて騒いでいるだけ。解説ではなく、応援と結果論しか言わない解説者。バラエティは、楽屋落ちかあげ足取りのネタばかり。やらせは我慢するとしても。ドキュメンタリーは、いかにもお涙ちょうだい的なものが多い。こうすれば、視聴者は感動するだろうという計算が透けて見える。
まぁ、総じてこんなところだろうか。全部が合っているとは思わないが、肯けるものも多い。
最近テレビの言葉遣いで違和感を覚えることが二つある。一つは、さん付けを多用することだ。出演者同士がお互いを呼び合うときに「○○さん」と呼び合うのは良い。しかし、ナレーションが次週の予告などで「○○さんが△△をします。」というのはいかがなものか。それでもかなりの年配者ならばわかる。しかし、若手や中堅と言われる出演者までそういう扱いをする。
もう一つは、トーク番組やクイズ番組などに多いが、「○○さんが遊びに来てくれました」と言う表現を使う。遊びに来ているわけないだろう。仕事で来ているのだ。そういうときに限って、ドラマや映画の告知が多い。誰がどう見ても仕事である。当然ギャラだって貰っているだろう。貰っていながら「遊び」はないだろう。
ギャラの話では、ダイヤモンドオンライン2012年12月28日号に降旗学氏がいろいろと書かれている。検証する術を持っているわけではないので受け売りだが、ブレークし立ての若手芸人でも単発の出演料で15万円だそうだ。大物になると何百万円という単位になるらしい。一般の世界と桁が違うのである。かつて、テレビCMの世界を垣間見たことが合ったが、他の媒体とは桁が違った。
こんな世界では、一般と感覚が遊離していくのは当然であろう。高度経済成長期で、全体のパイが大きくっていった時代であれば、まだ許されたかもしれないが、今では無理がある。
まだまだ途上ではあるが、TwitterやFacebook、YouTube等を含むネットという双方向の媒体は、誰でも発信者になれるし、誰でも好きなものを購読できる。ある専門集団が一方的に発信する媒体は、いろいろな点からプロとしての矜持を示さないと廃れていくことになるだろう。
それを差し引いてもつまらなくなった、という声も多い。ニュース番組は、表層的で、深みがなく、あったとしても問題提起だけ。ドラマは、俳優の人気に乗っかっているだけ、毎クール順列組み合わせの出演者。スポーツは、一方的に騒いでいるだけ。特に国際試合は応援に名を借りて騒いでいるだけ。解説ではなく、応援と結果論しか言わない解説者。バラエティは、楽屋落ちかあげ足取りのネタばかり。やらせは我慢するとしても。ドキュメンタリーは、いかにもお涙ちょうだい的なものが多い。こうすれば、視聴者は感動するだろうという計算が透けて見える。
まぁ、総じてこんなところだろうか。全部が合っているとは思わないが、肯けるものも多い。
最近テレビの言葉遣いで違和感を覚えることが二つある。一つは、さん付けを多用することだ。出演者同士がお互いを呼び合うときに「○○さん」と呼び合うのは良い。しかし、ナレーションが次週の予告などで「○○さんが△△をします。」というのはいかがなものか。それでもかなりの年配者ならばわかる。しかし、若手や中堅と言われる出演者までそういう扱いをする。
もう一つは、トーク番組やクイズ番組などに多いが、「○○さんが遊びに来てくれました」と言う表現を使う。遊びに来ているわけないだろう。仕事で来ているのだ。そういうときに限って、ドラマや映画の告知が多い。誰がどう見ても仕事である。当然ギャラだって貰っているだろう。貰っていながら「遊び」はないだろう。
ギャラの話では、ダイヤモンドオンライン2012年12月28日号に降旗学氏がいろいろと書かれている。検証する術を持っているわけではないので受け売りだが、ブレークし立ての若手芸人でも単発の出演料で15万円だそうだ。大物になると何百万円という単位になるらしい。一般の世界と桁が違うのである。かつて、テレビCMの世界を垣間見たことが合ったが、他の媒体とは桁が違った。
こんな世界では、一般と感覚が遊離していくのは当然であろう。高度経済成長期で、全体のパイが大きくっていった時代であれば、まだ許されたかもしれないが、今では無理がある。
まだまだ途上ではあるが、TwitterやFacebook、YouTube等を含むネットという双方向の媒体は、誰でも発信者になれるし、誰でも好きなものを購読できる。ある専門集団が一方的に発信する媒体は、いろいろな点からプロとしての矜持を示さないと廃れていくことになるだろう。