電子ブックが昨年あたりから話題である。いや、何度も話題になったが、そのたびにいつの間にか有耶無耶になり、いつしか忘れ去られていった。しかし、今回は、過去に較べて現実味が違う。漸くイノベーターでもアーリーアダプターでもない一般人が、検討する環境が整った。端末にもいくつか種類があるし、それにより規格も異なるようだから、かつてのVHSとβのように、まだ、淘汰があるのかもしれない。また、VHSがDVDに、さらにはブルーレイになったように、規格の進化があるのかもしれない。

 逆説的なようだが、電子ブックを巡る一連の動きをみて、あらためて「紙」という媒体の優秀さを感じている。紙の発明は、蔡倫と習ったような記憶であったが、WikiPedia先生によると、現在では、蔡倫の生きていた時代よりも古い紙が発見されているらしい。蔡倫の時代からでも1900年程の時間が経っている。その間、第一線の記録媒体として活躍してきた。記録が容易でかさばらず、軽く、一定の条件が保てれば、保存性にも優れている。また、記録されたものを読み取るのに必要なのは視覚だけである。現在でも、これらの性質の全てを凌駕する媒体はない。

 一部だけ、特に容量という点では、HDDやSDカード、いや、大昔のFDですら、紙を凌駕している。およそ30年ほど前であろうか。OAという言葉が出回り始めた時期、FD一枚に新聞が何年分も入る、というような説がビジネス雑誌をにぎわした(そのころは8インチFDだろうか。)。だが、そのころ、本当に新聞記事をFDに入力したとして、今、再現できる可能性は少ない。技術の進歩がFDを過去の遺物とし、読み込める機器の入手を困難にしたのである。また、OSも変わっているだろう。もちろん、あのペラペラの茶色っぽい円盤を見ていても、何もわからない。お金をかければ、わかるかもしれないが、その作業は、古代文字の解読に近い作業かもしれない。

 また、現在であっても、多くの場合、保存は紙に出力して行われる。この時代になっても紙の優秀さは、揺らいでいない。強いて言えば、インターネットの発達により、保存年限が短いものについては、取って代わっているようである。その代表がメルマガだろう。また、ある文章を世の中に問う、的なもの、意見、評論、小説といった著作については、紙を伴わず、インターネットを利用することにより、恐ろしく敷居が低くなった。誰でも気軽に参入できる(影響力があるかどうかは別である。)。これは、紙が果たしてきた役割の一部を代替したともいえるが、むしろ、インターネットの発達によるものと捉えるべきだろう。

 紙の天下は、まだまだ続くだろう。