最近考えていることがあります。
それは、「しあわせってなんだろう」です。
わたしたちは、なんのために生きているのかと聞かれたら、
たどり着くところは、しあわせになるため、なのだと思います。
好きなひとといること、好きなことをすること、好きな場所に住んでいること、などなど。
しあわせの感じ方やカタチは人によって違いますが、
少なくとも、生きている理由の一つにはなるのではないでしょうか。
では、もし、その理想(しあわせ)のカタチがあって、
もし、その理想(しあわせ)のカタチに、いますぐ現実が切り替わったとしたら、
はたして、しあわせなのかな。と思ったのです。
もちろん、楽しいでしょうし、満たされた感覚になるかもしれないし、しあわせと感じるかもしれません。
でも、なんかしっくりこない。
きっと、それは自分自身が変わってなくて、自分の中が、何も成長していないからだと思いました。
毎日、毎日、なんでこんな心も、魂も揺れるような、課題に取り組まなければならないのか。
神様はなぜ、こんなつらい環境を与えるのだろうか、と思うこともあるかもしれません。
でも、そこにはたくさんの学びが散りばめられていて、
そこに向き合うことで、自分自身が成長していくという一番のギフトがあるのだと思います。
だから、いま起きていることすべてに意味があって、
そこにどう向き合うかが、しあわせと向き合うことと、イコールになるのかもしれません。
自分の中にある、たくさんの握りしめてしまっていたものを、癒し手放していくとき、
本当の自分に生まれ変わっていき、しあわせが現実になる。
だから、いま絶望の中にいても、それは必ず意味のあることで、
自分と繋がるための、しあわせになるための過程を歩んでいることなのだと思います。
大丈夫。
きっとその体験をするために、わたしたちはこのタイミングで、この地球に生まれてきたのですから。