家族に還る道 -7ページ目

家族に還る道

日々の氣づきなどをゆるゆると綴っていきます

最近考えていることがあります。

 

それは、「しあわせってなんだろう」です。

 

 

 

 

わたしたちは、なんのために生きているのかと聞かれたら、

 

たどり着くところは、しあわせになるため、なのだと思います。

 

 

 

 

好きなひとといること、好きなことをすること、好きな場所に住んでいること、などなど。

 

しあわせの感じ方やカタチは人によって違いますが、

 

少なくとも、生きている理由の一つにはなるのではないでしょうか。

 

 

 

 

では、もし、その理想(しあわせ)のカタチがあって、

 

もし、その理想(しあわせ)のカタチに、いますぐ現実が切り替わったとしたら、

 

はたして、しあわせなのかな。と思ったのです。

 

 

 

 

もちろん、楽しいでしょうし、満たされた感覚になるかもしれないし、しあわせと感じるかもしれません。

 

でも、なんかしっくりこない。

 

 

 

 

きっと、それは自分自身が変わってなくて、自分の中が、何も成長していないからだと思いました。

 

 

 

 

毎日、毎日、なんでこんな心も、魂も揺れるような、課題に取り組まなければならないのか。

 

神様はなぜ、こんなつらい環境を与えるのだろうか、と思うこともあるかもしれません。

 

 

 

 

でも、そこにはたくさんの学びが散りばめられていて、

 

そこに向き合うことで、自分自身が成長していくという一番のギフトがあるのだと思います。

 

 

 

 

だから、いま起きていることすべてに意味があって、

 

そこにどう向き合うかが、しあわせと向き合うことと、イコールになるのかもしれません。

 

 

 

 

自分の中にある、たくさんの握りしめてしまっていたものを、癒し手放していくとき、

 

本当の自分に生まれ変わっていき、しあわせが現実になる。

 

 

 

 

だから、いま絶望の中にいても、それは必ず意味のあることで、

 

自分と繋がるための、しあわせになるための過程を歩んでいることなのだと思います。

 

 

 

大丈夫。

 

 

 

きっとその体験をするために、わたしたちはこのタイミングで、この地球に生まれてきたのですから。

 

 

 

わたしたちが家族と感じるのは、なにが基準なのだろう。

 

 

 

ということで、

 

なるほど!と感じることがあったので、綴らせてもらいます。

 

 

 

 

まず、結論からいいますと、

 

それは、

 

「どんな状態の自分でも、そこに居ていいと思えて、無理をすることもなく、緊張することもなく、いまの自分をありのままに表現できる関係。」

 

 

 

 

深いですね~。

 

確かに、血は繋がっていても、家族と思えないようなこともあるし、

 

血は繋がっていなくても、家族と思えるようなこともある。

 

だから、ある意味、家族っていうのは、とても自由で、広くて、わたしたちが家族と感じる人が家族なのでしょうね。

 

 

 

 

相手の状態を理解し合えて、自分の状態をありのままに表現し合えて、お互いに尊敬し合える、

 

安心と、心地よさの関係。

 

それが、「し合わせ」 なのかもしれないですね。

 

 

 

 

 

人生はどんな環境、どんな状況であっても、常に学びがあり、

 

無駄なことはひとつもなく、すべてが必要な過程なのだと思います。

 

 

 

 

そして、目の前に現れていることは、すべて自分が選択した結果が表れていて、

 

起きた原因を外側に求めているうちは、延々と同じところを回ることになってしまう。

 

 

 

 

そこに氣づき、向き合うことで、はじめてそのサイクルから飛び出すことができるのではないでしょうか。

 

 

 

 

そのサイクルには、長年避けてきたことの根っこが広がっているので、

 

そこから抜け出すことには、とても勇氣がいるし、

 

苦しみ、恐怖、絶望、を味わうかもしれません。

 

 

 

 

でも、その先には、必ず大きな変化があると感じています。

 

 

 

 

大宇宙は、とてもシンプルで、天意(あい)に満ちていて、わたしたちを見守ってくれている。

 

そして、わたしたちの中にも、宇宙がある。

 

 

 

 

ありがとう。