昨日の夜、月をみていました。
秋の心地良い風を感じながら、自分とゆっくり対話をしていたのですが、
わたしは、すごく怯えて生きていた。
物心ついたときからいまに至るまで、そのときの記憶や感情、体感覚を思い出していたら、
いつも緊張して、力が入って、恐がっていたことがすーっと入ってきました。
この年になっても全身がこわばっていて、リラックスができないのですが、
それはずっと体がその恐怖から守ってくれているんだなと思います。
わたしは、人一倍感じやすくて、特に人との関わりで、いろんなことをキャッチしてしまうのです。
そうやって客観的に認識できるようになったのも、ここ数年ですが、
それゆえに、小さいときからとても生きづらかったのです。
いろんな大人たちの思惑に、動かされ、評価され、制限され、
それが渦巻く中にいるのがしんどかったし、つらかった。
でも、自分の居場所を保つには、そこに順応するしかなくて、
そうやって、周りの正解をいつも探して、荒波立てず、いい子でいて、
自分を抑えて、存在価値、存在意義を感じていたのですね。
そうじゃないと生きられないと、小さいながらに深く刻みこんだのだと思います。
だから、おかしいと感じたことにNOと言って自分を表現して、追いつめられるより、
YESと言って相手の機嫌を損ねないほうが、ずっとよかった。
そのほうが、傷つかなくて済むし、自分を守れると思っていました。
でも、そこには、否定されることにいつも怯えているわたしがいました。
だから、人が恐くて、
失敗するのが恐くて、
間違うのが恐かった。
もし、正解にそぐわなかったら、わたしの存在価値がなくなってしまうから。
罪悪感で苦しくなってしまうから。
そうならないために、価値ある何かを身に着けようとしたり、
逆に、できるだけ恐さに遭遇しないように避けていました。
そうやって、うまく避けながら、いずれ身に着けることができる強さを期待し、
ずっと苦しみ続けていました。
でも、本当はすべてが自分で創り上げた幻想で、
もういまは選びなおせるのですよね。
弱くたっていい、素朴だっていい、できなくたっていい、下手だっていい。
そんなわたしが好き。
いままで頑張ってきてくれた自分と統合していきます。
明日は秋分の日。
素敵な一日になりますように。