この日は、9月後半ともあって結構寒かったのですが、
滝に打たれるのは初めてなので、わくわくしていました。
でもいざ滝に近づき、水しぶきがかかると、一氣に心が折れそうになってしまって。
それでも氣持ちを固めて飛びこむと、
全身が震えあがり、10秒ほどで滝からでてしまいました。
想像より寒くて、これ以上耐えるのが無理だったのです。
すぐに太陽の光の元へいって、温まっていると、
「もう一回挑戦してみる?」
と、お仲間が声をかけてくれたのです。
何かに引っ張られる感覚を感じながら、滝に向かっていました。
お仲間の二人は、滝の中で手を合わせたり、体を動かしたり、全然震えてなくて、
わたしはというと、やはり水しぶきだけで、全身ガクガクに震えました。
そんなわたしを二人が見守ってくれている中、
意を決してもう一度滝にダイブしました。
すると、一回目以上に全身が激しく震えて、
寒すぎて体がおかしくなりそうな恐怖も出始めて、何度も滝から離れようとしました。
「丹田に意識する!」
「滝に抵抗するのではなく、一体になるように、手を合わせて!」
「大丈夫。必ず震えは止まるから!」
と声がして、そこに集中しました。
しかし、体はますます震えあがり、
これ以上は不可能、もう十分やった、そんなことが頭の中を駆け巡っていました。
2人は声をかけ続けてくれていたと思います。
「必ず、滝と一つになるときがくるから。」
わたしの背中を叩いてくれて、震えを必死に捉えながら、さらに続けました。
そんなときです。
「ふっ」と一瞬、時間が止まったのです。
まるで、事故が起きる瞬間に音も、動きも、自分も、世界も全てが止まり、点になるように。
そして、わたしは思いっきり叫んでいました。
自分との繋がりを感じるように、長く、強く。
震えは完全に止まっていて、むしろ心地よささえありました。
そして、全てを出し切った瞬間、
大きく吹き上げた風が全身を駆け巡り、
うねるように滝が動いたのです。
「いまのは何だったのだろう。」
その後、わたしはある感覚を思い出していました。
1ヶ月前、抑圧してきた恐れの噴出によって、全身が無抵抗に震え上がっていた感覚です。
その震える感覚が、今日の震え方と全く同じだったのです。
滝では恐い体験はしていませんし、水も恐くありません。
なぜ人は恐れるのか。
トラウマや、恐怖体験によって刻まれた痛み。
日常の小さなことですら、それに類似したものが無意識でそこに行きつき、わたしたちは感情的になる。
そして、体が反応する。
そこには、突き詰めると「死」の存在を感じるからなのでしょうか。
「死」にそうな感覚になるからなのでしょうか。
今回、ダイレクトに体の反応を極限まで感じました。
でも、死ななかったのです。
同時にわたしって、こんなに生きたかったのだと思いました。
「恐れ」
それは、わたしが生きているということであって、
わたしを守るとても自然なことなのだと感じました。
だからこそ、排除するのではなく、向き合い、統合することが、わたしと繋がることになるのでしょう。
こうして、貴重な体験とともに、大分2日間が終わりました。