家族に還る道 -3ページ目

家族に還る道

日々の氣づきなどをゆるゆると綴っていきます

わたしたちはみな平等に、一生のうち、大きく分けて「2回」、

 

自分を創ることができるのだと思います。

 

 

 

 

「1回目」は、

 

親、祖父母、叔父叔母、学校の先生のような、

 

子供の時に深く関わった大人たちによって、

 

それはつまり、育った環境によって、「創られる」といったほうが正確かもしれません。

 

わたしはその中でも、親(一番関わった存在)との関係が特に大切だと感じています。

 

何よりも信頼し、あいしている存在であって、同時にあいされたいと願っているからです。

 

 

 

 

子供は本当に純粋です。そして何にも偏りなくニュートラルです。

 

逆にそれは、何にでも染まるということでもあります。

 

なので、親の言うこと、することから学んでいきますし、

 

親の価値観や考え方で、ある意味、子供の世界が創られるとも言えます。

 

 

 

 

しかし、実際は、子供も自分の感覚(とても自然な感覚)は持っています。

 

 

 

 

ただ、子供は生まれてから自立するまで、常に誰かの助けが必要です。

 

それは、衣食住のような生きる基本要素から、

 

心のコミュニケーション、

 

生きていくための学びも含めてです。

 

 

 

 

ということは、まだ一人で生きていくことができないので、

 

親からあいされていないと感じることは、それらが脅かされることにもなるので、

 

すなわち、死にも繋がるのです。

 

大袈裟かもしれないのですが、

 

わたしたちはそれをトラウマや恐怖として認識していることも多いのではないかなと思います。

 

 

 

 

子供ながらに親の言うことやすることに疑問がわいたり、

 

違和感をもったり、嫌だと思ったりすることもあるのですが、

 

まだうまく言葉で表現できないので、

 

駄々をこねたり、泣いたり、癇癪したりして、

 

それを知らせようとします。

 

 

 

 

ただ、親側が受け取る準備ができていない場合、

 

怒ったり、正したり、叱ったり、手を出したり、無視したりして、

 

理解させたり、教育したり、しつけたりしようとしてしまいます。

 

親の価値観、考え方、常識の元で。

 

さらにそこには、感情も上乗せされています。

 

 

 

 

先ほどの通り、子供は親になによりもあいされることを求めるので、

 

だんだんと、本来もっている自然な感覚を抑圧、無視することを選択し、

 

親の価値観を生きます。

 

そこに、例えば、親は敬うものとか、感謝するものと教えられたり、

 

あとは、溺愛されたりすると、さらに親に対して反発ができなくなり、

 

本来もっていた自分の自然な感覚が奥深くに眠ってしまいます。

 

 

 

 

いい子になって、親に合わせて、生きる術を学ぶのです。

 

そうやって少しずつ、自己が確立されていき、

 

それらをわたしたちは自分と呼んでいるのです。

 

 

 

 

そうしながら、年齢を重ねると、

 

今度は、社会とのかかわり、パートナーとのかかわりが出てきます。

 

ただ、そこには同様に、各家庭のさまざまな価値観のもと育ってきた人たちがいて、

 

自分の感覚が合わないことがでてきます。

 

自分の中の当たり前が当たり前ではなくなる。

 

 

 

 

そのギャップに苦しくなるから、そこから離れたくなったり、相手をコントロールしたくなるのです。

 

自分はあいされているかを、自分の価値観から、相手に求め、確認したくなったり、

 

あいされるために、相手の正解を探し、それを演じたりと。

 

 

 

 

こういったことを、わたしたちは、自分が納得するまでし続けます。

 

 

 

 

わたしも散々もがいてきましたし、

 

たくさんやらかしてきました。(笑)

 

 

 

 

でも、どこかで、ずっと同じことを繰り返していて、

 

ずっとこの漠然とした不安や恐れがあって、

 

ずっと、外側を氣にして生きていることから、

 

嫌になって、苦しくて、本氣で変わりたいと思うときがくるのだと思います。

 

 

 

 

「子供のとき、奥深くに眠ってしまった本来のわたしが目覚めるときが。」

 

 

 

 

そこから、わたしたちの「2回目」が始まるのです。

 

 

 

 

目覚め、本当の自分と繋がり、

 

自分の力で歩んでいく人生がスタートするのです。

 

 

 

 

これまでの自分を客観的にとらえ、

 

なにが本当の自分なのかを知る手段はたくさんあります。

 

目覚めを進める方法もいろいろあると思います。

 

ただ、わたしは親と向き合うことが、まさにど真ん中、ド直球であって、

 

大きな力になると考えています。

 

 

 

 

それは、親を否定することでも、

 

過去の自分を否定することでもなくて、

 

本当の自分を明らかにしていくことです。

 

 

 

 

わたしも両親とは数えきれないくらい向き合ってきました。

 

母とは10年以上、父とは3年ほど。しかも直に(笑)

 

父との関係がかなり厳しかったので、あえて代表の父のもと一緒に仕事をすることを選びました。

 

何万回とくじけそうなときもありました(笑)。

 

でも、そのおかげで、いまは本当の自分を知り、たくさんのことを学び、体験させてもらっています。

 

いまも、そして、これからもこの歩みは続くでしょう。

 

わたしの道はこの道だったのだなぁと思います。

 

 

 

 

だから、わたしは家族に還るということが、本当のわたしと繋がる道の一つだと思うのです。

 

そして、家族みんなが本来の自分で生きられたら、

 

世界中に大きなあいが広がっていくと信じています。

 

 

 

この世界に存在する鉱物、植物、動物、惑星、などなど、全てのものは、

 

「あい」を学ぶために、それぞれのレッスンをしていると聞いたことがあります。

 

そして、「あい」には色んな段階があるので、

 

そのときに一番適しているものに自身の魂を宿し、それを体験していくのだと思います。

 

その時代、その場所、すべてが完璧な状態で。

 

 

 

 

鉱物などの「無意識」な存在から学びは始まって、

 

植物や動物などいろんなカタチを経て、ヒトの体験が始まるのだと思います。

 

その段階になると、はっきりとした「意識」と「意志」というものをもち、

 

自らの力で、「あい」を学んでいくことが始まります。

 

 

 

 

「意識」がなければ判断することができないですし、

 

「意志」がなければ選択することができないので、

 

わたしたちは、意識と意志のもと、歩みを進めていくのだと思います。

 

 

 

 

「あい」にはさまざまな段階がありますが、

 

わたしの中で、「あい」と「恐れ」は反対の感覚として捉えていました。

 

でも、この「あい」も「恐れ」も、それを判断する意識がなければ、

 

そもそもその概念を捉えることができませんし、

 

意志がなければそれを選択することもできません。

 

 

 

 

つまり、「あい」と「恐れ」の関係は、

 

「あい」の度合いの違いであって、

 

「恐れ」も「あい」の一つであるということが言えそうです。

 

 

 

 

ということは、「あい」の対極は「無意識」なのでしょうか、「ゼロ」なのでしょうか。

 

でも、同時にそれは「全体」ととらえることもできそうです。

 

というのも、「全体」から分離したときにはじめて、「わたし」という「個」の概念が生まれる。

 

つまり、無から有になる。

 

そして、その有の状態で、さまざまな段階の「あい」を学んで体験し、

 

最後は「全体」となるからです。

 

 

 

 

つまり、

 

「あい」の究極が「創造主、全てと一つになる」とすれば、

 

わたしたちは、「そのもの」から分離して始まり、

 

「恐れ」も含めた色んな「あい」の段階を体験し、そして、「そのもの」となる。

 

そうなると、わたしたちは大きな輪の循環を楽しんでいて、

 

壮大な命の遊びをしているようにも感じます。

 

 

 

 

ということで、前置きが長くなりましたが、

 

 

 

 

2極の分かれ目とは、

 

これまで培った色んな枠の中で生きているわたしから、

 

本当のわたしへと変化すること、

 

つまり、

 

「恐れ」を超えて統合し、「あい」という真実を自らの力で明らめていくこと、

 

このことを、自らが本氣で決意したかどうかだと思うのです。

 

 

 

 

わたしたちは、どちらも選ぶことができます。

 

どの段階の「あい」を学びたいか、

 

どの段階の「あい」を学びにきたのかなので、

 

わたしたち一人一人が決められるのです。

 

 

 

 

いまの地球では、この大きな節目にいる方が多くて、

 

この節目を境に完全にステージが変わるため、

 

2極の世界というものが生まれているのかもしれませんね。

 

 

秋分の日に大分でツインフィボナッチヒーリングと、

 

滝体験をしたのですが、わたしの中の明らかな変化を感じる出来事がありました。

 

 

 

 

大分から帰ってきたその夜、家のドアを開けると、

 

妻が鬼の形相でこちらを睨んでいたのです。

 

 

 

 

ある画像を見せられ、

 

「これ何???」

 

 

 

 

というのも、ヒーリングセッションで、わたしの後に受けた方が、

 

全身震えたり痺れたりと、とても大きな反応が出て、終了予定より1時間ほど伸びていたのです。

 

そんなときに、たまたまその敷地にわたしが居たので、ヒーラーさんから、その方の手を握ったり、体をさすったり、

 

声をかけたりして、一緒に共振してほしいと頼まれたのです。

 

 

 

 

そのときの写真が、Facebookに載ってたみたいで、

 

しかも、その瞬間のわたしが満面の笑みで、女性の手を握っていたみたいで。

 

それは確かに、妻が怒るのも当然ですよね。

 

 

 

 

息子と二人で待っててくれて、

 

旦那は知らぬところで、何楽しそうに笑ってるんじゃと。

 

 

 

 

ということで、すぐにそのように説明するも、もう時すでに遅し。

 

妻はそのまま寝室に行って寝てしまいました。

 

 

 

 

ここで、わたしは自分の中で大きな変化が起きていることを感じたのです。

 

これまでのわたしの場合、そのように妻が怒り爆発になったとき、

 

大きく動揺したり、逆にこちらも怒りで反応したりしていました。

 

 

 

 

そこには、説明を聞いてくれない寂しさや、

 

理解してくれない寂しさ、

 

怒りをぶつけられる悲しさなどがあり、

 

同時に妻への理解の氣もちも閉ざしていく、そんなことが起きていました。

 

 

 

 

それが、今回の場合、

 

動揺も、怒りの反応もなく、

 

起きたことの事実を真正面から受け止めていて、

 

それでいて、自分を責めることもなく、

 

息子と二人で二日間待っていてくれたことへの感謝と、

 

わたしが愛しているのは妻であるということを、妻の背中に手を置いて伝えていました。

 

 

 

 

色んな言葉を付け足したくなることもなく、

 

ただ、その想いを、心の純粋な声を発していたのです。

 

 

 

 

とても不思議な感覚でした。

 

わかってほしいという氣もちには、わたしが一番の理解者になっていて、

 

それですべてが完結していて、

 

その奥にはただ、あいと感謝がいた。

 

そんな心地でした。

 

 

 

 

出来事に不満や苦しみを感じる。

↓↑

相手に変わってほしい、どうにかしてほしいと思う。

↓↑

それでもやっぱり変わらないことを知り、諦める、避ける、見ないフリをする。

不満や苦しみは自分が創り出していること、原因であることに氣づく。

自分と向き合う。

何らかの恐れや本音がその出来事に隠れていることを知る。

恐れや本音と統合する。

わたしと繋がる。

あいと感謝が自分の中に満たされ、広がる。

他者へと循環が生まれる。

 

 

 

こういったプロセスがわたしたちの中にあるのかなと、書きながら感じています。

 

今回わたしは、このプロセスの最後までを体験させてもらえたのかもしれません。

 

 

 

 

わたしと繋がる道は、真実の道であり、あいの道であり、循環の道であり、

 

ときに苦しみが伴うのかもしれないけど、必ずそれは大きな実りになるのだなと思いました。