わたしには、もう眠りたくないという強い氣持ちがあることがわかりました。
これが、自分のなかにある、何かに漠然と怒っている感覚の正体だったのだと。
それは、眠りの意識との距離感がつかめていないのと、
自分の気持ちをうまく言語化できない歯がゆさからきてるのだと思います。
眠っているとは、常識や、こうあるべきが指針となっていて、自分の心地よさが他人に左右される状態で、
いつもどこか不安で、他人も自分も信頼できなかったりします。
目覚めているとは、自由に物事を選べることが指針となっていて、自分の心地よさが自分の中にある状態で、
自分のことがよくわかり、結果、他人も自分も信頼できるようになります。
眠っていることと目覚めていることは、どちらもいい悪いは全くなくて、
地球に生まれてきたわたしたちが、どちらを体験したいかで決めています。
つまり、ハイヤーセルフの自分が、色んな制限のある意識を体験したいのであれば、眠りを選択するらしく、
ただ最近は、眠ることに同意していない魂も多く降りてきているのだそうです。
わたしの場合、小さいころからとても敏感で、繊細で、
人の氣持ちやエネルギーを人一倍感じるほうだったのだと思います。
両親や祖父母などの周りの大人は、常識やこうあるべきだという概念にガチガチだったので、
当時の環境は非常に生きずらくて、本当に苦しくてつらかったのを覚えています。
その環境で育つにつれ、意識はどんどん眠っていき、完全に先ほどの眠りの世界を生きていました。
ただ、小学生のころに、わたしと母が心の病になり、そのタイミングで母が眠りから覚め始めたのです。
そこから母は、これまでとは全く違った価値観でコミュニケーションをしてくれて、
わたしの感覚というものに寄り添い、わたしの氣持ちを大切にしてくれたことから、
固まっていた心が緩み、中学生には学校に行けるようになったのです。
こんなにも目覚めた感覚でのコミュニケーションは心地いいのだと知りましたし、
同時に眠りの感覚からのコミュニケーションに、強く違和感を覚えるようになってきました。
その後、わたしが目覚め始めたのは高校生の途中ぐらいで、
親と向き合う心理学との出会いや、
ヴィパッサナー瞑想、音叉、なども取り入れながら、
真実を明らかにしていく生き方に変わっていきました。
なので、こういう方は結構いるのかなと思うのですが、
わたしも、眠りの世界と目覚めの世界の両方体験してきたから、
それぞれの違いがよくわかります。
だからこそ、わたしの中でもう眠りたくないという意識があるので、
眠りの世界の考え方や、感覚に抵抗感をもったり、
コミュニケーションの時に、その世界の感覚で主張されると、防衛反応が起きるのだと思います。
これが理由で、色々と衝突もありました。
でも、眠りの世界からの主張も、目覚めの世界からの主張も、
お互いに相手の世界がおかしく見えても、
それらは本人の世界から見るとどちらも真実なんですよね。
だから、まるで違う世界を生きているパラレルワールドみたいに、平行線になることが多い(笑)。
ただ、平行線であっても、必ず自分にとって大切な何かが隠されていたり、
何か手放せることを、相手が見せてくれていることがあるのです。
わたしもありがたいことに、たくさん氣づかせてもらいました。
自分の中の「こうあるべき」が緩んだとき、必ず相手との関係も緩みます。
おもしろいですよね~。
結局、すべてが必要な体験なんだなと。
そして、最近は、言語化とは相手を説得するのでもないことがよくわかってきました。
ただ自分の氣持ちを伝える。これだけで十分なのですよね。
言ってもいいし、言わなくてもいい。
これは、言わないといけないでもなく、言うのを我慢するのでもない。
もっと、力の抜けた自然なかんじなのかなって。
わたしの意識もすごく変化してきていて、いまもそのプロセスを楽しんでいます。
日々自分の中の「こうあるべき」を手放す、これがとても心地いいです。