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家族に還る道

日々の氣づきなどをゆるゆると綴っていきます

本当のわたしと繋がっていくことって、

 

自分の中が自然な状態になることなのかなと思います。

 

 

 

 

これまで、わたしは家族との繋がりを意識してきました。

 

全ての人が母から生まれ、

 

そして、様々なカタチの家族と呼ばれるコミュニティで育ち、

 

わたしたちは、自分を創っていきます。

 

 

 

 

だから、わたしたちのルーツである家族との繋がりを捉えることが、

 

わたしを捉えることにもなるのだと思っていて、

 

そして、そこが素の自分で委ねられる、心地いい場所であれば、

 

わたしたちの心は平和で豊かになって、

 

それが地域や国レベルへと広がっていくのだと思っていました。

 

 

 

 

そのために、まず親子の関係、家族との関係と向き合うことが大事で、

 

そこを向き合わずして、外側に目を向けていくのは違うのではないかと思い、

 

わたし自身も長い間、探求してきました。

 

 

 

 

ただ、最近氣づいたことがあるのです。

 

それは、「家族」やその「カタチ」に力んでいたなぁと。

 

探求するほど、これがいい、こうしたほうがいい、これが幸せなんだとなっていき、

 

ある意味、そういった型を創り、それに当てはめようとしていました。

 

力が入ったり、無理がかかるっていうのは、どこかで苦しくなるんですよね。

 

 

 

 

でも実は、というか、やっぱり、正解やこうしたほうがいいっていうのはなくて、

 

ただただ、心地よかったり、リラックスしていたり、ナチュラルな感覚だったり、

 

自然としたいなぁっていうのがわたしたちの本当の氣もちなんですよね。

 

動きたいように動く。

 

その結果、自分のこうなったらいいなぁになっている。

 

それがわたしに繋がっていくということで、

 

本当の意味での、わたしが現実を創るになるのかなと。

 

 

 

 

わたしたちが生きるこの世界はとても自由であって、

 

すべてにいいも悪いもなくて、

 

わたしたちは体験したいことを体験しているのですね。

 

 

 

 

この氣づきのおかげで、もっともっと自分の意識が自由になって、

 

心地いいことを選んでいけそうです。

 

 

 

 

結局、なんでもありさ~^^

 

 

わたしには、もう眠りたくないという強い氣持ちがあることがわかりました。

 

これが、自分のなかにある、何かに漠然と怒っている感覚の正体だったのだと。

 

それは、眠りの意識との距離感がつかめていないのと、

 

自分の気持ちをうまく言語化できない歯がゆさからきてるのだと思います。

 

 

 

 

眠っているとは、常識や、こうあるべきが指針となっていて、自分の心地よさが他人に左右される状態で、

 

いつもどこか不安で、他人も自分も信頼できなかったりします。

 

目覚めているとは、自由に物事を選べることが指針となっていて、自分の心地よさが自分の中にある状態で、

 

自分のことがよくわかり、結果、他人も自分も信頼できるようになります。

 

 

 

 

眠っていることと目覚めていることは、どちらもいい悪いは全くなくて、

 

地球に生まれてきたわたしたちが、どちらを体験したいかで決めています。

 

つまり、ハイヤーセルフの自分が、色んな制限のある意識を体験したいのであれば、眠りを選択するらしく、

 

ただ最近は、眠ることに同意していない魂も多く降りてきているのだそうです。

 

 

 

 

わたしの場合、小さいころからとても敏感で、繊細で、

 

人の氣持ちやエネルギーを人一倍感じるほうだったのだと思います。

 

両親や祖父母などの周りの大人は、常識やこうあるべきだという概念にガチガチだったので、

 

当時の環境は非常に生きずらくて、本当に苦しくてつらかったのを覚えています。

 

その環境で育つにつれ、意識はどんどん眠っていき、完全に先ほどの眠りの世界を生きていました。

 

ただ、小学生のころに、わたしと母が心の病になり、そのタイミングで母が眠りから覚め始めたのです。

 

 

 

 

そこから母は、これまでとは全く違った価値観でコミュニケーションをしてくれて、

 

わたしの感覚というものに寄り添い、わたしの氣持ちを大切にしてくれたことから、

 

固まっていた心が緩み、中学生には学校に行けるようになったのです。

 

こんなにも目覚めた感覚でのコミュニケーションは心地いいのだと知りましたし、

 

同時に眠りの感覚からのコミュニケーションに、強く違和感を覚えるようになってきました。

 

 

 

 

その後、わたしが目覚め始めたのは高校生の途中ぐらいで、

 

親と向き合う心理学との出会いや、

 

ヴィパッサナー瞑想、音叉、なども取り入れながら、

 

真実を明らかにしていく生き方に変わっていきました。

 

なので、こういう方は結構いるのかなと思うのですが、

 

わたしも、眠りの世界と目覚めの世界の両方体験してきたから、

 

それぞれの違いがよくわかります。

 

 

 

 

だからこそ、わたしの中でもう眠りたくないという意識があるので、

 

眠りの世界の考え方や、感覚に抵抗感をもったり、

 

コミュニケーションの時に、その世界の感覚で主張されると、防衛反応が起きるのだと思います。

 

これが理由で、色々と衝突もありました。

 

 

 

 

でも、眠りの世界からの主張も、目覚めの世界からの主張も、

 

お互いに相手の世界がおかしく見えても、

 

それらは本人の世界から見るとどちらも真実なんですよね。

 

だから、まるで違う世界を生きているパラレルワールドみたいに、平行線になることが多い(笑)。

 

 

 

 

ただ、平行線であっても、必ず自分にとって大切な何かが隠されていたり、

 

何か手放せることを、相手が見せてくれていることがあるのです。

 

わたしもありがたいことに、たくさん氣づかせてもらいました。

 

自分の中の「こうあるべき」が緩んだとき、必ず相手との関係も緩みます。

 

おもしろいですよね~。

 

結局、すべてが必要な体験なんだなと。

 

 

 

 

そして、最近は、言語化とは相手を説得するのでもないことがよくわかってきました。

 

ただ自分の氣持ちを伝える。これだけで十分なのですよね。

 

言ってもいいし、言わなくてもいい。

 

これは、言わないといけないでもなく、言うのを我慢するのでもない。

 

もっと、力の抜けた自然なかんじなのかなって。

 

 

 

 

わたしの意識もすごく変化してきていて、いまもそのプロセスを楽しんでいます。

 

日々自分の中の「こうあるべき」を手放す、これがとても心地いいです。

 

 

わたしには10か月の子供がいます。

 

これまでずっと、子からの立場で親と向き合ってきたわたしにとって、

 

親としての体験をさせてもらえることが、最高のギフトになっています。

 

 

 

 

わたしは、子は親にとって、本当の自分を明らめてくれる一番の存在だと思っていて、

 

親が子を育てるように、

 

子は親の本当の光を教えてくれる(思い出させてくれる)と、わたしは思っています。

 

 

 

 

それは、親のエゴや制限、恐れからくる発言や行動に、しっかりと反応してくれるからです。

 

こどもは純粋で、自由で、光の感覚に満ちています。


なので、違和感を感じたとき、泣いたり、怒ったり、駄々をこねたり、

 

色んな方法で知らせてくれるのです。

 

 

 

 

そして、親側もそれを反抗と捉えるか、ギフトと捉えるかを選ぶことができます。

 

それによって、子供との関わり方も大きく変わりますが、

 

どちらにも大切な学びがあります。

 

わたしの場合は、両親から両方を体験させてもらいました。

 

 

 

 

実際に親になると、子供の感覚は痛いほどわかっていても、

 

感情的になってしまうことがあります。

 

わたしの場合、子供の泣き声が昔から苦手で、

 

ギャン泣きされたり、泣き続けられると、すごく心が苦しくなったり、泣き止ませたくなったり、

 

余裕がないときには、怒りも湧いて当たってしまうことがありました。

 

そのたびにものすごい後悔と申し訳ない氣もちになるのですが、

 

同時に大きなギフトをもらいます。

 

 

 

 

それは、わたしがなぜそこまで泣くことに反応するのか、

 

心が苦しくなるのかに、わたしの真実が隠されているからです。

 

そこからの角度から、自分と向き合うことで、自分の中にある過去の傷や、「~しなければならない」が見つかり、

 

必ず大きな氣づきと癒しが起こるのです。

 

 

 

 

まだ子どもとは会話はできませんが、

 

わたしが何かに捉われて、余裕がなくなってイライラしているときにも、

 

そのエネルギーを感じ取って、反応してくれたりもします。

 

 

 

 

そのようにして、子供は、親にとって一番純粋に自分が映し出される鏡なので、

 

そんな目線で、リラックスして子供との関わりを楽しんでいます。

 

 

 

 

親も人間、子も人間、

 

そこから生まれるたくさんの体験は、きっとわたしたちの真実へと繋がっていくのですね。