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お茶畑の広がる鹿児島県南九州市から

断捨離®トレーナー講習生・善福睦美です。

 

 

 

 

 

 

 

前回の続きになります。

 

頑張るしかない。

心の重荷は生きているものは

一生背負っていくものだと思っていました。

私の主人は自分で命を終わらせてしまった

自殺でした。

 

背負ったたくさんの罪悪感。

笑って強がってはいても、

埋まらない思いは表には見えない心の中に。

不安と心配、世間からも批判される

恐れが隙間なくギュウギュウ詰め。

 

 

2019年の秋。

たまたま義母と義実家に寄った時、

ご近所さんから

「もしも、

家を手放すことがあったら私に声をかけてね」

 

義父が亡くなった後、

母は別のところで仮住まい。

ご近所さんとお茶飲みする時家に帰るくらいで、

家をどうしようか悩んではいましたが、

手続きも面倒だからと、

手放す事に乗り気ではありませんでした。

 

とりあえず義父の名義を

母に変える手続きだけ済ます事にしました。

 

そこから、怒濤の展開!

長く患う介護鬱からの身体の痛み不調、

ずっと寄り添ってきましたが、

何もやる気にはならず、

力のないまま過ごしていた義母。

ところが名義変更が済むと

別人のように動き出し、

とんとん拍子に話が進み義実家の売却も決まり、

家財道具の選別をひとり始めたのです。

 

ご近所さんも私も別人になった

母の行動に目が点になるほどでした。

執着も未練もたくさんあっただろうけれど、

その潔さに圧倒されっぱなし。

今までの母はどこに行ったのだろうか?

あんなに私が言いても、

出来ない、無理、諦めの言葉ばかりだったのに、

この十数年の苦労はなんだったのだろうか??

 

動けるようになった母の姿に喜びを感じつつ

過去の苦労と使った時間にも

執着を感じていた私は

身をえぐられるような思いでいました。

 

年の瀬を前に片付けも済み売却契約。

空っぽになった家に入った途端、

結婚前からの沢山の思い出が蘇り、

感情が崩壊してしまい涙が止まりませんでした。

 

願っても無い形で思い出の詰まった家を手放し、

ほっとする母とは対照的に、

過去に執着していた私は

現実が受けとめられていませんでした。

 

頭に強烈なパンチを受けて動けなくなり、

今までの思考感覚を強制終了することに

なったのでした。

 

自己犠牲が当たり前の昭和の価値観。

息子たちのため、義母のため、

父親であり、息子を亡くす結果となった

償いの思いが強く、

自分を大切に扱っていいと

頭ではわかっていても、

それが本当にできたら苦労はしないのに

と思っていました。

 

 

この時は母も私も断捨離を全く知りませんでした。

よく2020年、

自分も鬱になり仕事もできず

社会から取り残された思いでいた時に

私は断捨離に出会います。

 

びっくりだったのは、

母は断捨離を知らないところでリアル体験し、

見違えるように鬱の状態が

改善されていったのでした

 

 

 

 

 

 

目の前の見えるモノから調えて

見えない心の領域まで調えてしまうラブラブ

 

 

 

 

読んでくださりありがとうございましたクローバー

 

 

 

 

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