今日はバスに乗ってある場所へ。
アフリカで最大のキベラスラム。
本当に広くて、トタン屋根で作られた建物、雨でぬかるんだ道、散りばめられたゴミ、その中で生活する人々。
そこで先進国から来た私が、スラムを歩き出してまず始めに思ったこと。
どうやったらこの人たちがお金を手に入れこの生活から抜け出せるのか。
日本には生活保護というシステムがある。
正直言って私はあまりこのシステムが好きではないが、国が決めたことやから仕方ない。
この国でもそれをやってみたらどうか。
→スラム街には100万人以上が生活している。この国の経済力では無理。
この街の中に役所かなんか公的なものを作って、スラム街の人たちで運営をする。交代で勤務すれば働ける人たちも増える。
→まずその基盤となるシステムを誰が作るのか、そこからして無理な話。
一般人の私が考えたところでどうにかなるわけもなく、ナイロビの貧富の差、スラム街の規模や人口の問題を解決するのは不可能に近いと思った。
ガイドに彼らの1日の収入を聞くと、仕事内容にもよるから一概には言えないと。
働く人たちは修理工をやったり商品を売ったり、スラム街の外に働きに出たり。
もちろん働けてない人もいる。
あのトタンの家には家賃があるらしく、月1000シリング支払っている。
政府がこの状況を打開しようとすぐ近くに低家賃の集合住宅を建てたが、結局みんなスラム街に戻ってくるらしい。
中には電気も通ってるけど高いから、ある家とない家がある。
水道も一応通ってて、20リットル5シリングで買う。
私が行った日は連日の雨で水たまりが出来てて、その泥水も使うとか。
コンクリートにある配管から水を集めている子どもたち。
屋根の上のカバーは日本が寄付したものらしい。
今日は洗濯をしてる人たちがいっぱいいた。
きっとたまった雨水で洗ってるんだろう。
スラム街には子どもがたくさん。
先進国で金があるはずの日本は少子化やーて慌ててるのにね。
この子どもが多い理由はいろいろあるみたいやけど。
にしても、みんな私たちにHow are you?How are you?と声をかけてくる。
学校で始めに習うのがこの言葉だからだそう。
あ、学校には行けてるんやとこの時思った。
みんなちゃんと普通の服を着てる。スラム街やからぼろぼろの服というわけではなかった。
子どもたちはみんな笑顔で、カメラを向けると元気にポージングをする子だっている。
なんや、このキラキラした感じ。
エチオピアに住んでる子どもの方がよっぽどひどい笑
この子どもたちを見てると、この国にはまだ明るい未来があるんじゃないかと思った。
そして最終的に思ったのが、この生活が当たり前の彼らが果たして生活の質の向上を求めているのか。
この生活を抜け出さなければならないのか?
ガイドに聞くと、求めていない人が多いという返答が返ってきた。
そらそうだろう、政府が介入して変に過ごしにくくなるよりは、このままを維持したほうが彼らにとっては過ごしやすいんだから。
実際に集合住宅の件がそれを物語っている。
長年の彼らのやり方で、彼らの生活はすでに成り立っている。
彼らに私たちが出来ることはなんだろうか。
いや、出来ることなんてないんじゃないか。
彼らは周りに何を求めてるんだろう。
助けてほしい?ほっといてほしい?
結局2時間半くらい歩いて、私の中でもやもやした気持ちが強く残った。
帰りのバスでギジョンとどう思った?っていう話をした。
私はもやもやした自分の思いを伝えた。
ギジョンはとりあえずこの現実を学ぶことが出来てよかったと。
ギジョンがなぜナイロビ、ほかの発展途上国が遅れているのか知ってる?と話しだしてくれた。
世界には200ほどの国があるが、そのほとんどが発展途上国。
そして発展途上国のほとんどはかつての戦争によって植民地化されていたところ。
先進国はその植民地をとっていた国々。
日本を含む、ほとんどの先進国は世界大戦後に経済成長が起こりぐんぐんと住みよい国になった。
しかしその時期に植民地化されていて、独自の経済発展を遂げられなかった国が今の発展途上国。
発展に必要な人材、物理的なものすべてを含む発展途上国の大事な時期を先進国が奪っていたのだ。
つまり発展途上国は自分の国を犠牲にして、先進国の発展を助けたのだ。
そして植民地解放とともにさじを投げたように先進国は何のフォローもなく発展途上国から離れた。
21世紀の今、国間や国の中で貧富の差が出来てしまっているひとつの原因だと言える。
ケニアはイギリスの植民地だった。
イギリスは今や王国を作り上げ、ヨーロッパでどっしりと構えている。
でもケニアの今は。
私はここで初めて気づいた。
ケニアの貧富の差は世界の問題なんだと。
スラム街の人たちはいわば犠牲者なのではないかと。
私は今までの旅で何を見てきたんだろうと情けない気持ちになった。
これまで発展途上国に行くチャンスがあって自分なりにその国について考えてきたつもりやったけど、まだまだやった。
世界の歴史を含めて何も知らなかった。
なので今回のキベラスラム訪問は私にとってすごく意味のあるものになった。