☆私の大切な仲間&思い出☆ vol.1 | むっちぃのブログ

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100万人に1人の難病から車椅子ミラクル人生記。


今の私があるのは
もちろん病気に打ち勝てた”自分”がいる。

そして
家族や友達の励ましがあったから。。。

でもそれをいい方に転換できたのは
やはり”自分”なのです。

仲間もみんな這い上がってきた”自分”をもつ人たち
同じラインから走り始めた仲間の話。。。

(まずは自分の気持ちと状況からです)


ここまでこれたのは
病気に打ち勝つだけでなく
リハビリという課程があって
独り暮らしまでできました。

そこでは到底1人ではクリアーできなかったことと思います。

私の場合
5.6回の病院の転院を繰り返し、
2年をかけ、
やっとの思いでこれたリハビリ専門の病院。
薬の関係で断られてきたリハビリ病院の中での
専門の病院に入れたことは本当にうれしかった。
(今までここの病院も病気の脊髄損傷患者は私で2人目だそうです。
         病院側も迷ったことだろうと思われます。ありがたい話でした)

何より私と同じような脊髄損傷の方が多いときかされていて
状況が同じ人とのかかわりはここから始まりました。
それがすごくうれしかった。

最初に受診したとき、
ドクターに
「あなたは今までは重度扱いだったろうけど
ここでは軽傷扱いだから!心してね」ということ。

最初からパンチのあるセリフ!(笑)

心の中で・・・
「燃える~!!!^^v」
私はその言葉が嬉しかったのです!!!

病院内では車椅子の人が多くて
本当に私なんか相手にならないほどの人ばかり。。。

気合いが入りました!
がっっ
すぐに自分の弱さを思い知りました。。。
すぐにというのは
リハビリ開始後1週間もかからなかったと思います。

これでも私は
中学のときバスケ部ではハードな練習をこなしてきたし
高校以降ではサッカーばかりしてきて精神力とかある方だと思ってたのに・・・
筋力0から始めるリハビリ、
筋肉が1つもないところからのリハビリ。。。
今まで味わったことのない体の状況・・・
例えて言えば・・・
腹筋背筋もない、
もっといえば咳・くしゃみさえもできない状況でした。
即挫折しそうになりました。


だけどみんなの笑顔やあいさつ、
自分たちで自分たちを励ましあうように
みんなで競争するようにリハビリをがんばった!
なるだけ笑いあいながら。。。

ここには
絶望を味わった人たちの笑顔とウラの顔
本当の笑顔になるまでの話をしていきたいと思います

みんながいたから
私はがんばれました!!

今自分があるのはみんながいるから!
ここでもそう、コメントやメッセをくれる方、読者の方々の存在
人は人で支えられてるんだと実感しています。

いつもありがとうございます

続く。。。