幹線道路沿いには、何でもあった。ファミレスを始め、ファーストフード、廻る寿司にレンタルビデオ屋、セルフのうどん屋、コンビニ、地産地消をうたう農産物直売所、家電量販店、ガソリンスタンド、ホームセンター、車のディーラー、紳士服屋、携帯ショップ、牛丼屋、スーパー、ブックオフ…。
何でもあった。創意工夫、度重なる企画会議や力の入ったCMを経て、飽き性の客たちを日々、飲み込んだ。土日になれば、臨時の警備員が立つほど、ごった返した。どぎつい日焼けの警備員の首筋に汗が光る頃、冷房の車から家族連れが出てくる。暑さに顔は一瞬しかめるが、足取りは軽く、子供たちは急に駆け出して、冷房の効いた店内に吸い込まれていく。警備員の足元に置かれた赤いリュックは、おざなりに誘導棒を振るう彼以上にくたくたになっている。
何でもあったが、ただ一つ隙間がなかった。余白と言ってもいい。あらゆるものが計算し尽くされ、言葉にされ、目の前にあった。それに基づき、人は動き、反応する。明るく清潔な店内で、何通りかあるセリフを組み合わせ、切れ間なくつないだ。沈黙は許されなかった。
ドライブスルーの店員の声が、なぜか場違いのように聞こえる。幹線道路は絶え間ない川の流れのようだった。ときに澱み、伸びたり縮んだりして、それ自体がうねる生き物だった。そして、走る車のことごとくに一応の目的地があった。そのことが不思議でならなかった。
私はただひたすら歩いた。冒険家でもないのに。植え込みの、破れて骨になったビニール傘を見た。車の音が消えると、余白が歩いていた。私の姿だった。
信号が変わり、追い越したのは自転車で、仕事を終えた警備員だった。道具一式を前かごに詰め、ゆっくり遠ざかる。夏でも冬でも、まっすぐ帰らず、近くの海を眺めてから、彼は家路につく。
(文・写真原人)


