心房粗動の治療については、後日に委ね、軽い話題を書きます。老眼です。

前にも書きましたが、「老い」を最初に実感したのは、この「老眼」です。老眼の症状は、かなり個人差がありますが、私の場合は45歳くらいで完全に老眼鏡なしには生活できなくなりました。

最初に購入した老眼鏡は、+1.5という症状軽めのものでした。それから20年が経過しましたが、実は今でも同じ+1.5のものを愛用しています。老眼が進行(悪化)していないのかどうか、わかりませんが、今でも+1.5でちゃんと見えるのでそうなのかもしれません。

この老眼鏡がないと、近くにある文字は、ほとんどすべてが見えません。ぼやけて読めないのです。

まあ、本とか新聞は、「さあ読むぞ」と思ってから読むので気にならないのですが、スマホが困ります。たとえばLINE。LINEのメッセージが届いたから、さあ読もうと思うのですが、まず老眼鏡をかけないとまったく読めません。

自宅なら、すぐに老眼鏡が手に取れるところに置いてあるのでいいのですが、外出中はひと手間かかります。持っているバッグの中から老眼鏡のケースを取り出し、それからおもむろに老眼鏡をかけ、ようやくLINEが読めるわけです。まったく、本当に、毎回、イラッとします。LINEのメッセージひとつも裸眼ではろくに読めないのかよッ!と自分に腹が立ちます。荷物をたくさん持っていると老眼鏡を出すだけでも一苦労。そんなときはさらに腹が立ちます。まわりに誰もいなければ、「なんでこんなに面倒くさいんだよっ!」と小さく叫んでいます。

老眼のデメリットはそれだけではありません。まったく本を読まなくなります(自分だけかも)。老眼鏡をかけて読めばいいのですが、なんだかすぐに目が疲れてくる気がします。

パソコンやスマホではあまり気にならないのですが、印刷物だと急に気になってきます。たぶん気のせいだとは思うのですが、印刷物だと目がすぐに疲れた気がして、読む気が失せます。

老眼鏡をかける前までは最低でも月に1~2冊、多い時には5~6冊、何十年もコンスタントに書籍(主に小説)を読んできた「読書家」の私が、ぴたっと、まったく、1冊も本を読まなくなりました。

かといって特に不便は感じません。寂しさも、それほどありません。逆に、こう思っています。「たぶん、神様が、もう本なんか読まなくていいよー」と言ってくれているんだ、と。

年をとるということは、少しずつ何かを手放していくことなんじゃないか。今までできたことが少しずつできなくなって、最後はゼロになって、パチン、終わりみたいな。

そんなことを老眼で読書ができなくなったことで、ふと思ったりします。ご同輩の皆さんはいかがでしょうか?