あれから23年。何年経ってもこの日のことは忘れられない。忘れてはいけないと思う。正月気分もぬけない連休明けの火曜日、単身赴任先の名古屋に帰る準備をしようと起きようとしたその瞬間、ぐわーっという地鳴りと共にシェーカーの中にいるような揺れ、そして、家具が倒れ、テレビが対角線に吹っ飛び、ジノリやロイヤルコペンハーゲンが棚から飛び出し、派手な音を立てながら、粉々に砕け散る。ほんの20秒くらいの出来事。ドアを開けて、8Fの通路から六甲山の方を見ると、長田から、三宮から、六甲道から、深江・青木から、黒い煙と炎が、明け方の空を染める。
翌日、1才の長女を背中に背負い、お腹の大きい家内を連れ、トランクに詰めれるだけの必要なものを詰め、とぼとぼと、六甲大橋を渡り、途中、車に乗せてもらったりしながら、深江の倒壊した阪神高速のがれきの横を歩き、途中、茫然とがれきになった家を見つめる老人、人がやっと一人歩けるくらいに狭くなったがれきと廃墟の道路を、亡くなった人をのせた担架とすれ違う。
真っ暗になったころに、新伊丹の実家に到着。伊丹もそれなりの被害はあったものの、神戸ほどではなく、阪急も新伊丹までは、通常運転(なぜか、伊丹駅は倒壊した)。忘れられない光景が瞼を閉じるとよみがえる。
あれから23年。両親は亡くなり、伊丹の実家は、昨年秋に更地にしたうえで、売却完了。ハイツができるらしい。
長女は、記者になり、地方で頑張っている。次女は、ボストンに留学中。家内は相変わらず元気。当方は、上海。生きていて、生かされて、今があるのだと、しみじみ思う。万物霊長、すべてのものに感謝。
また、志半ばで尊い命をなくされた6000余名の方々に、改めて哀悼の意を表します。黙禱。