【なちゅの履歴書】⑦豪遊と就職(大学卒業~社会人1年目) | なちゅの市川綜合研究所

なちゅの市川綜合研究所

「別に勝たなくてもいいので、負けないこと」を志向しております。
本記事の内容記述は一般に入手可能な公開情報等に基づき、作成されています。
当ブログの情報に全面的に依拠することはお控えいただき、最終的なご判断はご自身でお願いいたします。

そんなわけで、信用取引を武器に当時は標準的なサラリーマンの年収分くらいは株で稼いでいたので、私はかなり調子にのっていたと思います。ちょこちょこPCをいじってデイトレすれば、いくらでもお金が湧いてくるので、当時ネットで流行った慣用的表現で言えば「東証は俺の財布だ!」みたいな感じでした。

 

当時交際していた同い年の大学生の彼女と北海道旅行に行くことがあったのですが、当然旅行の費用は全て私持ち、飛行機で行った方が安いのに、わざわざ豪華寝台特急「カシオペア(既に運行廃止)」で行ったりしていました。それ以外にも九州旅行に行ってハウステンボスに泊まる際には、園内の一番高いホテルである「ホテルヨーロッパ」に泊まったりしていましたので、学生の身分にもかかわらず中々の大名旅行であったと言えます。ちなみに今やHISに買われてしまったハウステンボスですが、宿泊した「ホテルヨーロッパ」は常和ホールディングス(現ユニゾホールディングス)が保有しており、最終的に償却後簿価で50億円くらいあったものの、1円の備忘価格でHISに売却させられた経緯があり、今にして思い返せばユニゾはそういうのも色々気に入らなかったのかもしれません。話が逸れてしまいましたが、私はこうした旅行の最中もガラケーを睨みながらデイトレにいそしんでいましたが、当時の彼女は色々と旅行に連れていってくれる私を決して怒ったりはしませんでした。ただ、今にして思えば旅行中くらい株のことなど忘れて楽しめばよかったな、と思います。

 

そんな感じで適当に散財したりはしていたものの、運用資産は11百万円程の水準を保持したまま内定をもらっていた不動産会社へと就職し、私は社会人1年生となりました。初任給は27万円とかなり高かったものの年俸制でボーナスがなく、毎日終電近くまで仕事をさせられるわりに残業代もありませんでした。年俸換算して16ヵ月で割り戻すと20万ちょっとになる計算のため、よくよく考えると別に給料が良いわけでもないのですが、株で年数百万円稼いでいたので、正直給料の多寡などどうでもいいかなと考えており、気に食わなければ適当に転職してあとは株で稼げばいいかな・・・などと半ば本気で考えていました。

 

株の方は依然として不動産流動化関連株(アーバンコーポレイションやMKキャピタルマネジメント等)をいじっていましたが、大学を卒業する頃からそういった銘柄の株価が思うよう上がらなくなってきました。社会人になると板をにらめっこして機動的に売買をする時間もとれなくなるため、現物中心にポジションを落とすことを考えたのですが、そこは一度吸ったら最後の「蜜の味」を忘れることが出来ず、信用取引のレバレッジは40%程度から落とさないことにしました。ただ足許では少しずつ不動産流動化バブル崩壊の足音が聞こえてきているタイミングであり、レバレッジを維持するという判断は完全に裏目に出ることとなります。(続く)

 

※次の記事 2019-11-11 

【なちゅの履歴書⑧】破滅の序曲(社会人1~2年目)

 

*本記事の内容記述は一般に入手可能な公開情報に基づき、作成されています。特定の証券・金融商品の売買の推奨ないし勧誘を目的としておらず、本記事に基づいて投資を行い、何らかの損害が発生した場合でも責任を負いません。


このエントリーをはてなブックマークに追加にほんブログ村