飯山は行って見なされ良い所~島木赤彦の童謡「飯山町」の歌碑は、愛宕町の展示試作館前に建立~

アララギ歌人島木赤彦が、1918年(大正7年)11月1日飯山町へ当時の小学校教員を対象にした講演に訪れた時飯山の印象をもとにつくった童謡です。
島木赤彦のたくさんの童謡の中で、特定の町の名前を冠した童謡は、この飯山町だけだそうです。
飯山には、赤彦の長野師範学校当時からの無二の親友で、高野辰之の従兄弟にあたる清水謹冶(後の飯山町長)が住んでおり、清水謹冶の招きで飯山線の開通以前の飯山を4回も講演に訪れています。

童謡 飯山町  島木 赤彦
町の街道に
木の葉が散って
人の通りの
少ないころは
 
高い木立に
小鳥が鳴くし
店の軒端に
大根干すし
 
もんぺ姿の
山なか娘
綿を仕入れに
懐手して来るし
 
信州信濃の
飯山町は
行って見なされ
よい所

この童謡「飯山町」の歌碑は、この童謡「飯山町」の舞台となっている愛宕町仏壇通りにある飯山の工芸品の「展示試作館」前に、平成5年に建立されました。
この歌碑の揮毫は、日本美術院常務理事をされていた日本画家塩出英雄画伯です