原田(旧姓井上)武子

猪瀬直樹著「ふるさとを創った男 唱歌誕生」は~飯山市民必読の書~ミス上海の原田武子の回想!
大正(天皇)さまのご大葬がすんでから、すぐのことでございます。
初めて父に連れられ桃山御陵に近い三夜荘にに伺い、大谷光瑞猊下のお目どおりを受けたのです。あれは、たしか十六の春のことでした。
という、真宗寺住職井上弘円の娘、原田(旧姓井上武子)の回想から、猪瀬直樹著「ふるさとを創った男」は始まります。
真宗寺は、飯山市上町にある浄土真宗の寺院。
島崎藤村の小説「破戒」では「蓮華寺」として登場する古刹です。
第23代住職は井上寂英はは、「ふるさとを創った男」にも登場する、武子の父弘円、藤井宣正の妻となる瑞枝(たまえ)、そして高野辰之の妻となる鶴枝の3人の子供があります。
寂英は明治6年、32歳の若さで浄土真宗西本願寺派の東京築地本願寺別院の輪番に任命され、明治維新の宗教改革の目玉として発せられた廃仏毀釈令に対し、地方の小さい寺・院・堂を統廃合から守るために、懐に短刀を秘し政府と交渉するほど人望ある人でした。
武子の父弘円は、その寂英の長男。
1899年12月(明治32年)浄土真宗本願寺派第22世門主となる大谷光瑞がロンドンへ留学した時に、随員として姉瑞枝の夫藤井宣正とともにロンドンへ留学。
藤井宣正は、大谷光瑞の後見人の役割を果たしたと言います。
弘円は、ロンドン滞在中の明治35年のエドワード7世の戴冠式には光瑞の陪席を勤める事になっていたほど、光瑞の信頼が厚かったとといい、真宗寺には弘円が戴冠式で着用する予定だったレイが保管されています。
原田武子はその弘円の4女でした。
つづく
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