蓮村(現飯山市)深沢から見た春の景色~高野辰之の実体験が「朧月夜」の歌詞に生かされた~
絵は昭和40年代の飯山市秋津深沢から高社山方面~松沢芳広さん絵(松沢芳広美術館蔵)
唱歌「故郷」「朧月夜」発表110年~高野辰之と飯山 6
明治19年(1886年)の4月.から、10歳の高野辰之少年は、お母さんが編んでくれた草鞋を履き、飯山高等小学校まで往復約18kmの道を通学しました。
家を出て、真宝寺大門前を通り班川を渡り、三俣を越えると豊田深沢。
蓮村に入ると境沢、蓮深沢へ出る(ここまでは、現在の替佐静間バイパスとほほ同じ道)深沢からは茂右衛門新田、飯沢、駒立と歩き静間村に入ります。
静間村は、大久保、中町、北畑の順に歩き、ようやく飯山町に入ります。
飯山はでは新町、上町を通り、学校のある福寿町にやっと到着するのです。
片道8.9km2里以上の道を、雨の日も風の日も毎日往復して通学しました。
高野辰之が永江から飯山高等小学校へ通学したことに関連して、飯山市内の郷土歴史家であり、松沢芳広美術館を経営される松沢さんから「菜の花が咲く頃、通学の途中で高野辰之は、こういう風景を見たのだと思う。昭和40年代の蓮の深沢から高社山方向を見た絵を、2018年に描いてあった」との貴重な情報を頂きました。
絵は「昭和の春空間」2018 北信美術展 F30キャンバス 水性溶剤・岩絵具・漆
http://www10.plala.or.jp/matuzawayosihiro/page039.html
高野辰之が作詞した「朧月夜」の
菜の花畑に、入日薄れ、
見わたす山の端は、霞ふかし。
春風そよふく、空を見れば、
夕月かかりて、匂い淡し。
の風景は、日本中どこででも見られる風景です。
ただ、作詞者高野辰之自身が実体験して生まれた詩であることは事実です。
松沢芳広さんのこの絵は、永江村(現中野市)から蓮村(現飯山市)に入ったすぐの深沢地積から高社山方向を望み見た昭和40年代の絵です。
菜種油(灯明の油)を採取するため、あちこちの畑で油菜を栽培していました。
辰之はこういう景色を見ながら通学してたに違いありません。
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