島崎藤村達が乗った川舟の蟹沢の港のある場所

「白檮山いそじ」と「三村きの」は、島崎藤村の家に近いところの娘達~千曲川のスケッチ~千曲川に沿うて~
飯山再発見のための連載~61
小説「破戒」の舞台と飯山3
千曲川のスケッチ
その十
千曲川に沿うて
は、島崎藤村が、雪の飯山を訪れた時の事が書かれています。
雪国の鬱陶さよ。
汽車は犀川を渡った。
あの水を合せてから、千曲川は一層大河の趣を加えるが、その日は犀川附近の広い稲田も、岸にある低い楊も、白い土質の崖も、柿の樹の多い村落も、すべて雪に掩われて見えた。その沈んだ眺望は唯の白さでなくて、紫がかった灰色を帯びたものだった。
遠い山々は重く暗い空に隠れて、かすかに姿をあらわして見せた。この一面の雪景色の中で、僅かに単調を破るものは、ところどころに見える暗い杜と、低く舞う餓た烏からすの群とのみだ。
行手には灰色な雪雲も垂下って来た。次第に私は薄暗い雪国の底の方へ入って行く気がした。ある駅を離れる頃には雪も降って来た。
この旅は私独りでなく小諸から二人の連があった。
いずれも私の家に近いところの娘達で、I、Kという連中だ。
この二人は小諸の小学を卒おえて、師範校の講習を受ける為に飯山まで行くという。汽車の窓から親達の住む方を眺めて、眼を泣きはらして来る程の年頃で、知らない土地へ二人ぎり出掛るとは余程の奮発だ。でもまだ真実に娘々したところのある人達で、互に肘ひじで突付き合ったり、黄ばんだ歯をあらわして快活に笑ったり、背後から友達を抱いて車中の退屈を慰めたりなどする。Naiveな、可憐な、見ていても噴飯したくなるような連中だ。御蔭で私も紛れて行った。Iの方は私の家の大屋さんの娘だ。

このIが「白檮山いそじ」、Kが「三村きの」なのです。
つづく