現在の愛宕町通り

飯山を訪れた直後の「アララギ」に、赤彦は「飯山町」一連の作品を発表し、歌集「氷魚」に掲載した
飯山再発見のための連載~41
「清水謹冶」その15
清水謹冶と島木赤彦
初めて飯山を訪れ、清水謹冶等から冬を間近にした飯山の町を案内された島木赤彦は、親友の育った町飯山、そして、小さな庵で日本でただ一人臨済禅を守り、白隠を育てた正受老人が暮らした町飯山がすっかり気に入りました。
飯山を訪れた直後の「アララギ」に、「飯山町」一連の作品を発表し、後に歌集「氷魚」に掲載された
山の時雨疾く来たりぬ屋根低き一筋街のはづれを見れば
我ひとり旅人と見ゆ大根を乾し竝べたり街のとほりに
いくつもの寺は見ゆれど鐘ならず冬山の日は暮れはてぬ
は、愛宕町通りから神明町通りの飯山の町を詠ったものですが、冬を前にした飯山の様子を見事に描写しています。
山の時雨疾く来たりぬ屋根低き一筋街のはづれを見れば
の一首は、古田十一郎先生の傑作である
日本海の谷浜海岸で詠まれた
板屋根に石をならべて軒つづくこの街道に潮鳴り止まず
と似通ったところがあります。
赤彦は、清水謹冶等に案内され正受庵を訪れます。
そして「恵端禅師の墓」6首を詠まれます。
つづく