古田先生の書斎から城山公園方向

取り壊された市民会館が見える

土屋文明と斎藤茂吉に短歌の指導を直接受けました〜作曲家古関裕而と古田十一郎 ➃
古田先生の昭和18年日記抄(短歌とわが青春)に、国鉄長野工場で「万葉集」の勉強会を始めたことや、「万葉集講演会」に東京へ行ったことなどが記されています。

古田先生日記抄
昭和18年
1月18日
 今日より昼休みに万葉集の勉強会を開く(工場内教室で)
1月23日
 今日夜中の2時の急行にて上京。
 茂吉・文明に会う。五味・柴生田にも会う。
1月24日
 東京青山の善光寺別院で開かれた「万葉集講演会」に参加。夜行列車の疲れで眠い。
 斎藤茂吉先生の話の時には眠ってしまった。次の土屋文明先生の話は詳細に筆記した。
 講演会後の座談の時、土屋先生の添削が不親切だとの発言があり、私もうっかりそれに相槌を打ってしまった。土屋先生が激怒され、斉藤先生の仲裁で納まった。
 会の後、お礼とお詫びを兼ね斉藤・土屋先生宅を訪ね、親しくお言葉をいただいた。
 24日夜半の夜行列車で帰った。
東京行は、斎藤茂吉と土屋文明を講師とする「万葉集講演会」に参加するためでした。
講師の土屋文明は、明治23年生まれ、100歳まで短歌を作り続けたアララギ歌人。
斎藤茂吉と「アララギ」の共同編集にあたり、昭和9年編集兼発行人となっています。 
一方教職では、大正9年長野県諏訪高女校長、11年松本高女校長、13年法政大予科教授などを歴任し、昭和27〜35年明大文学部教授を務めています。
また、「万葉集私注」(全20巻)にみられる万葉研究の業績も大きく、没後の平成8年、故郷である群馬町に県立土屋文明記念文学館が完成しています。
古田先生は、長野商業の国語教師の島木赤彦の推薦でアララギに加入、昭和16年9月からアララギに歌稿10首を投稿して土屋文明に添削指導を受け、16年11月の3回目の投稿で、「素直にてよし、甲会員に変わり給え」との評価を得て甲会員に昇格しています。

つづく