飯山城は、戦国期の名残りと、近世の城としての面を併せ持った貴重な城〜飯山城と葵神社➋
飯山倶楽部が作成した「信州の小京都飯山城址」には〜
飯山城の特徴
飯山城は平山城で、東に千曲川、北に皿川、南は急崖、西は湿田と自然の要害でであり、後堅固の城です。
縄張りは梯郭式で、水堀、空堀で城の周囲を囲み、より防御を固めています。戦国時代には上杉氏の軍事的拠点として、近世には飯山藩の領国統治の中核としての役割を果たしました。
戦国期の名残りと、近世の城としての面を併せ持った貴重な城郭です。
戊辰戦争で長野県唯一の戦争であった飯山戦争は、飯山城を中心に行われました。
と書かれています。


この飯山戦争のことについては、『語り部が語る ふるさと 飯山』(佐藤政夫・弓削春穏/ほおずき書籍)に「飯山の戊辰戦争」として書かれています。

なお戊辰戦争とは〜慶応4年(1868)戊辰の年1月から翌年5月にかけて、維新政府軍と旧幕府派との間で行われた内戦です。

鳥羽伏見の戦い、上野の彰義隊の戦い、会津戦争、箱館戦争などの総称です。

白虎隊士が自刃する会津戦争は有名ですが、その戊辰戦争の時、飯山城もその舞台となっていたのです。

『語り部が語る ふるさと 飯山』の「飯山の戊辰戦争」は、
㈠ 開砲五日噺から始まります。
なかなか面白いので、後日にその内容を紹介したいと思います。

つづく