越路吹雪(こしじ ふぶき)物語〜放送開始〜越路吹雪は「飯山高等女学校」に在学していました。

名曲「愛の賛歌」を日本に伝えた〜シャンソンの女王〜越路吹雪。

越路吹雪のたどった波乱の人生をを綴る帯ドラマ劇場「越路吹雪物語」がテレビ朝日系列で始まりました。
テレビ朝日系列の月曜日から金曜日まで12時30分〜12時50分まで
越路 吹雪(こしじ ふぶき、本名;内藤 美保子、旧姓;河野美保子)、1924年(大正13年)2月18日〜- 1980年(昭和55年)11月7日)は、元宝塚歌劇団男役トップスター、シャンソン歌手、舞台女優です。
東京府東京市麹町区(現:東京都千代田区麹町)出身ですが、父親の転勤により、父親と二人で新潟県に移り住み、父親とともに下宿生活を送ります。
新潟の小学校は三島小学校となっています。
越路吹雪の母親は新潟県三島郡越路町出身だとのことでの学校設定だと思われます。

しかし、越路吹雪(河野美保子)は、1936年(昭和13年)13歳の時、

長野県飯山高等女学校(後の長野県飯山南高等学校・現長野県飯山高等学校)に入学しました。
飯山高等女学校を中退して、宝塚音楽歌劇学校(現宝塚音楽学校)に入学したとのことです。
当時の高等女学校は5年制でした。
越路吹雪の父親は、東京電燈の社員。
この頃、長野・新潟両県から信濃川の水利権を許可された東京電燈と鈴木商店は、共同出資により「信越電力株式会社」を設立し、信濃川支流の中津川で、中津川第一・第二・第三発電所を完成させつつ、信濃川本川の長野県側の千曲川に西大滝ダムを建設するために準備を進めていた時期。
横丁大家の同級生に、父親が西大滝ダム建設に関わった同級生も居ましたし、津南町から飯山南高校に通学していた高校生が、冬期間だけ横丁大家の家に下宿していたこともあることを考えると、越路吹雪の父親は、昭和15年に完成した西大滝ダム建設関係の仕事に従事していたのだと思われます。

そう言うつながりを思いつつ越路吹雪(こしじ ふぶき)物語を観たいと思います。