瀬木の民宿

戸狩スキー場誕生秘話〜⑰ 「イロリで煮炊きするのはだめ。設備を整えた調理室でなければいけません。」
太田村のスキー場づくりにとって。昭和34年は画期的な年になった。
懸案のリフトづくりは、資金難に悩みつつ少しづつ進んでいった。
資金作りの方法として、「戸狩観光協会」の他に「戸狩観光株式会社」をつくり、その株式を民宿農家に出資してもらうことにしたが、喜んで出資してくれるものが一人もない。
一戸2万円を予定したのだが、発起人の福沢裕文や高橋勇士が頼んで歩いてもみな嫌な顔をする。
「2万円って、たいきんだからなぁ」
と言って、少し考えさせてくれと言う返事ばかりだ。
そこで発起人の者は2万5千円づつを持ち範を示すことにした。
大問題発生! 民宿をやるにも営業許可がいる〜保健所の説明会
こうしてリフト建設に苦心惨憺しているところへ、降ってわいたように新しい難問題が起きた。
それは7月の暑い日のことであった。
飯山の保健所から通知が来て、民宿をやるにも営業許可がいる。その説明会をやるから、関係者は支所へ集まれ。という内容だった。
みんなは軽い気持ちで支所へ出かけていった。
何も本格的な旅館をやろうとしているわけでなく、広い農家の部屋を利用してスキー客を泊めるだけのことだから、営業許可と言ってもほんの形式的なことだと考えているからだ。
会場の支所には、もう保健所の係員が3〜4人来ていた。
説明が始まる。
図に書いた説明は細かい。
「お客さんに出す食事をつくるところ、つまり調理室はこうしなければなりません。」
と言うところから始まり、説明は便所、洗面所など話は細かい。
しかもそれは、こういうように改善しなければ許可しません。と言う強制なのだ。
話が進むうちに、農家の人たちの顔色が変わってきた。
もし、その通りにするとすれば、ほとんど家を建て直すくらいのことになるし、もちろんそれに要する資金は多額なものになる。
一通り説明がすむと、会場は騒然となった。
「イロリはいけないんですか。」
保健所の係官が答える。
「イロリで煮炊きするのはいけないんです。食べ物を作るにはキチンと設備を整えた調理室でなければいけません。」
これはショックだった。

つづく