箱店屋横丁大家の店番日記
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高源院参道 昨年


NHK大河ドラマ「八重の桜」は、いよいよ中盤を迎えて会津に攻め入る官軍に白虎隊が出陣するシーンに入ります。
この時代に活躍した人達の中に幕末の三舟と言われる勝海舟と山岡鉄舟・高橋泥舟がいます。
八重の桜には、佐久間象山も登場し、勝海舟は今の場面で活躍しています。


三舟と飯山~

三舟の中で特に山岡鉄舟と高橋泥舟は、当時廃庵になっていた正受庵を再興するために並々ならない力をつくされました。
飯山の正受庵は、小さい庵ながら京都の金閣寺や銀閣寺、鎌倉の円覚寺、松島の瑞巌寺なども所属する、一休禅師や沢庵和尚を輩出した「臨済宗」の聖地ともいわれる庵です。


なぜ、臨済宗の聖地かというと、臨済宗中興の祖(廃れたものを甦た人)白隠禅師がこの正受庵の正受老人の指導を受けて悟りを開いた場所なのです。
明治初期に「廃仏毀釈」が行われ、檀家のない寺は廃寺にするという政策がとられた時、正受庵は檀家のない寺だったため、廃寺になってしまいました。


正受老人自身も、水戸光圀公から松島の瑞巌寺に招かれるほどの徳のお方でしたが、正受老人が厳しく指導した弟子白隠が、後に「日の本にすぎたるものが二つある駿河の冨士に原の白隠」と富士山に並び称されるほどの人になられました。


富士山が世界遺産に登録されたのですから~

白隠がどれほどの人かは想像できます。


その正受庵を再興するために~国の要職多忙な中を力を尽くした~正受庵の存続の意義

白隠の師の「正受庵」が廃寺になったことを知った~自らも臨済禅の修行をしていた山岡鉄舟が、自分の妻の兄である高橋泥舟とともに正受庵の再興のために力を注ぎました、


(山岡鉄舟は、西郷隆盛と江戸城無血開場を実現し~後に明治天皇の侍従長になった人=とは言っても廃寺を再興するのは大変でした。~いきさつは別に書きます)


石坂周造と鉄舟&泥舟は義兄弟
正受庵を再興した山岡鉄舟の妻が高橋泥舟の妹とということで二人は義兄弟ですが、驚くことには、飯山市岡山桑名川出身の渡辺源造=飯山市市の口の英岩寺(曹洞宗)から太田のあじさい寺で有名になった高源院に移り東京へ出て、後に日本の石油王となった「石坂周造」も高橋泥舟の妹を奥さんに迎えているのです。

高橋泥舟、山岡鉄舟(妻泥舟の妹英子)、石坂周造(妻泥舟の妹桂子、英子の妹)
石坂周造は、山岡鉄舟を非常に尊敬し山岡鉄舟の四天皇の一人とも呼ばれるほどになったそうです。


ただ、高源院を出て東京に行った経緯や、石坂氏への養子となり、名前も源造から周造に変えたことなどもあり、石坂周造の出身地は近江だと言言う人もいます。

しかし、東京に長野石炭株式会社を設立するなど石坂周造の事業は長野県と関係が深く飯山出身が真実です。


飯山は凄いところなんですよ~
①正受老人が真田幸村の甥だということ。
②臨済宗の中興の祖白隠が悟りを開いた地ということで臨済宗の聖地が正受庵だといわれていること。 
③幕末の三舟が正受庵再興のために力を尽くされ、特に山岡鉄舟と高橋泥舟は飯山にも足を運ばれ、書も多数残されていること。
④日本の石油王と言われる石坂周造は飯山桑名川出身であり、市の口の英岩寺と太田の高源院で修行をされたこと。
等々
飯山の人は、歴史を学び、世の中に輩出された偉人の多いことに誇りを持つべきだと思います。