箱店屋横丁大家の店番日記
歌碑除幕式平成5年4月
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アララギを代表する歌人島木赤彦の第三童謡歌集に童謡「飯山町」があります。


童謡「飯山町」


町の街道(かいど)に
木の葉が散って
人の通りの
少ないころは


高い木立に
小鳥が鳴くし
店の軒ばに
大根干すし


もんぺ姿の

山なか娘
綿を仕入れに
懐手(ふところで)してくるし


信州信濃の
飯山町は
行って見なされ
よい所


歌碑は、平成5年3月、飯山市寺の町文化地域振興事業の一環として建立されました。


島木赤彦は、アララギを代表する歌人ですが、たくさんの童謡も作りました。
たくさんある童謡の中で「飯山町」のように特定の町の名を付けた童謡はこの「飯山町」だけです。
「信州信濃の飯山町は行って見なされよい所」という詩にあるように、島木赤彦は飯山が本当に好きでした。

この歌には、島木赤彦のその思いが込められており、飯山の街の情景が見事に表現されています。


島木赤彦は、親友である飯山出身の清水謹治(飯山小校長や飯山町長を歴任)を通じて飯山を知り、臨済宗の古刹、正受庵=正受老人が住まわれた飯山を心から愛され、歌の門人や家族にも「飯山はいいところだから、一度は行って見ろ……」と言われていたそうです。

島木赤彦のその言葉により、大勢の文化人が飯山を訪れることになりました


この童謡の歌碑は、アララギの歌人であり飯山市公民館長などを勤められた古田十一郎さんの尽力により、平成5年に童謡歌碑として愛宕町の「展示試作館前」に建立されました。

この「飯山町」が、アララギに発表されたのが大正14年(1925年)6月号……68年後にようやく碑として残ることになりました。

飯山市民にとって……童謡自体も誇るべきものですが、歌碑の碑文を揮毫されたのが、アララギの歌人であり、武蔵野美術大学名誉教授・財団法人日本美術院理事の日本画家塩出英雄画伯であることも誇るべきことでした。


塩出画伯も、島木赤彦と正受庵に惹かれて飯山を訪れ、アララギ歌人の古田十一郎さんと交友を深め、この地方でスケッチされた絵や、数百首に及ぶ短歌を残され、記念講演もされています。


日本を代表する歌人島木赤彦が「行って見なされよい所」と歌った童謡の歌碑を、日本を代表する日本画家塩出英雄画伯によって揮毫された歌碑は……

飯山市にとって宝物であるだけでなく、歌の世界・日本画の世界にとっても貴重な宝物になってと思います。


ただ、残念ながら……せっかくの宝物である童謡「飯山町」の歌碑ですが、気づく人もなく、加えて碑の後ろにテレビの共聴アンテナも立てられて……草陰にひっそりと埋もれています。



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写真は、塩出英雄画伯が、斑尾高原でスケッチされ院展に出品された妙高残雪です。


今日の短歌
古田十一郎先生の短歌
新緑の楓の茂り滴する寂光院の坂の石道
西京
平成11年
古田十一郎歌集「高社山」より
古田十一郎:アララギ歌人。
土屋文明、斎藤茂吉が主宰する歌会に参加し直接作歌の指導を受けられた。
晩年、日本画家、日本美術院同人・常任理事の塩出英雄氏と親交を深め、塩出英雄氏の告別式で友人代として挨拶された。因みに葬儀委員長は平山郁夫院展理事長。
平成17年没。