“Marriage”訳了。訳題はそのまま「結婚」とした(ただし普通の結婚は全く出て来ない)。両大戦間の1937年と思しきロンドンで、貧しい青年がある日劇場で若い女性ヘレン・ブラックと知り合う。演劇ファン同士で意気投合した二人は観劇デートを始めるが、ある日部屋に招待され、同居している女友達のエレン・ブラウンに会ってその愛らしさに一目惚れしてしまう。だが、その後偶然町で出会ったエレンは彼を近くの公園に誘い、ほとんど初対面なのに大胆にも真昼間の屋外でセックスに及ぶ。青年は童貞喪失を果たすが、その時幻のようなヘレンの姿が一瞬その場に現れて消える。以後青年はエレンの肉体に溺れつつ、ヘレンとも観劇デートを続けるが、エレンとの密会の最中に決まって生霊かドッペルゲンガーのように出没するヘレンの姿に脅かされ、だんだんと悪夢のように不条理な体験に巻き込まれてゆく。官能的なエレンと理知的なヘレンという一見対照的な二人は、実は互いの分身であり表裏一体の存在なのか?下手をしたらポルノになりかねないような筋立てで、エイクマンにしてはかなり性的描写(と言っても今読めばごく大人しいものだが)が多く、また当時の実在したスター俳優の名前が頻出し、おそらく作者自身の青春時代を下敷きにした、ホラー風「ヰタ・セクスアリス」と言ったら強引過ぎるか。
Fantasy & Science Fiction 誌の1980年2月号に、フェミニストSF作家 Joanna Russ が米国版選集 Painted Devils の書評を寄稿しているが、「鳴り響く鐘の町」「学友」「恍惚」「哀れなる友」などの代表作を収録しているにもかかわらずかなり手厳しい評価の中で唯一誉めているのがこの作品。面白いので以下それを訳してみよう。
「Painted Devils でロバート・エイクマンは、自作のホラー短編において何がどうして起きているのかをあえて説明せず、不可思議な非整合性(要するに何が何だかさっぱり掴み処がない)を醸し出し、これが「文芸協会会報」では「優れている」と評価されている。彼の作品は、他のアンソロジーに収録されている場合には、ホラージャンルの中では比較的洗練された文章のために優れて見えることもあり得るだろうが、自作だけをまとめた短編集となるとその手法が見え透いて極めて鼻につく。これらの物語は、故意にぼかされた表面にもかかわらず、その基本的な構想は陳腐なものに過ぎないが、唯一の例外が「結婚」で、面白い諷刺であるとは言え、結局最後は不可思議なままに終わっている。」
「思わせぶりだが基本的な構想は陳腐」という評価はあながち的外れではないように思う。エイクマンの作品は表向き不可思議で難解だが、さほど斬新なアイデアや深遠な思想があるわけではなく、一皮剥くと実は結構ベタなところや滑稽なところがあり、場合によってはホラーというよりむしろ諷刺作品や寓話に近い。「結婚」でも「ヘレン・ブラックとエレン・ブラウン」などというわざとらしい名前をあえて使って面白がっているくらいで、これもかなり露骨な俗流フロイト的図式が見え透いているのは確かだが、回りくどく一筋縄では行かない語り口や筋立てが、贔屓目かも知れないが独特の謎めいた効果を上げ、捨てるには惜しいある種の魅力を醸し出しているのではなかろうか。少なくとも先日も触れた西崎憲など、優れた作家や評論家が彼の作品に魅せられてきたのは事実であり、これについてはまた後日紹介してみたい。
先日の邦訳リストを一箇所だけだが更新しておく。
The Insufficient Answer (1951) 「不十分な答え」(若島正)『新編怪奇幻想の文学 2 吸血鬼』新紀元社 2022
The Trains (1951) 「列車」(今本渉)『怪奇小説の世紀 第3巻 夜の怪』国書刊行会 1993→『怪奇小説日和 -黄金時代傑作選』ちくま文庫 2013
The View (1951) 「眺望」(植草昌美)『幻想と怪奇 10 イギリス怪奇紳士録』新紀元社 2022、■「眺望」
The Visiting Star (1952) 「スタア来臨」(今本渉)『奥の部屋』ちくま文庫 2016
Your Tiny Hand Is Frozen (1953) 「何と冷たい小さな君の手よ」(今本渉) 『棄ててきた女』早川書房 2007→『奥の部屋』ちくま文庫 2016
Ringing the Changes (1955) 「死者を呼ぶ鐘」(小島恭子)『魔の誕生日』朝日ソノラマ文庫 1986、「鳴りひびく鐘の町」(乾信一郎)ミステリマガジン 1985年 8月 → 『ロアルド・ダールの幽霊物語』ハヤカワ・ミステリ文庫 1986、●「響き合う鐘の音」
The Waiting Room (1956) 「待合室」(今本渉)『奥の部屋』国書刊行会 1997 → ちくま文庫 2016
Bind Your Hair (1964) 「髪を束ねて」(今本渉)『奥の部屋』国書刊行会 1997 → ちくま文庫 2016
Choice of Weapons (1964) ★1
The School Friend (1964) 「級友」(大瀧啓裕)幻想と怪奇 1974年 9月 No.11 歳月社、「学友」(今本渉)『奥の部屋』国書刊行会 1997 → ちくま文庫 2016
Just a Song at Twilight (1965)★2
A Roman Question (1966) ●「ローマ習俗問答」、■「ローマの問題」
Larger Than Oneself (1966) ★3
My Poor Friend (1966) 「哀れなる友」(植草昌美)『幻想と怪奇 14 ロンドン怪奇小説傑作選』新紀元社 2023、 ■「哀れなる友」
No Stronger Than a Flower (1966) 「一輪の花に如かず」(若島正) ミステリマガジン 1990年 8月、「花よりもはかなく」(西崎憲) 『英国短編小説の愉しみ 1 看板描きと水晶の魚』筑摩書房 1998→『短編小説日和』ちくま文庫 2013
The Inner Room (1966) 「奥の部屋」(今本渉)『奥の部屋』国書刊行会 1997 → ちくま文庫 2016
The Wine-Dark Sea (1966) ●「葡萄酒色の海」
The Cicerones (1967) 「案内人」(西崎憲)ミステリーズ! 54号 東京創元社 2012年 8月
Into the Wood (1968) ●「森の中へ」
Never Visit Venice (1968) 「ヴェネツィアを訪るなかれ」(植草昌美)ナイトランド・クォータリー vol.09 悪夢と幻影 アトリエサード、2017年5月→「ヴェネツィアを訪うなかれ」『新編 怪奇幻想の文学 5 幻影』新紀元社 2024、■「ゆめヴェニスには訪く勿れ」
Ravissante (1968) 「恍惚」(今本渉)『奥の部屋』国書刊行会 1997 → ちくま文庫 2016、■「恍惚」
The Houses of the Russians (1968) ●「ロシア人の家」
The Unsettled Dust (1968) ★4
The Swords (1969) 「剣」(中村融)『夜の夢見の川』 創元推理文庫 2017
Meeting Mr. Millar (1972)★5
The Clock Watcher (1973) 「とけいもり」(蟻塚とかげ)私家版
Pages from a Young Girl's Journal (1973) 「ある少女の日記帳より」(eHolly)ブログ掲載の抄訳
The Same Dog (1974) 「同じ犬」(小浜弘子) ミステリマガジン 2001年 1月
Niemandswasser (1975)■「不入の湖」
The Hospice (1975) ■「ホスピス」
The Real Road to the Church (1975)★6
Wood (1976)★7
Compulsory Games (1976) 「強制ゲーム」(山田和子)『続・世界怪奇ミステリ傑作選』 番町書房イフ・ノベルズ 1977
Growing Boys (1977)★8
Raising the Wind (1977)★9
Residents Only (1977)★10
Le Miroir (1977)★11
Marriage (1977) ■「結婚」
Laura (1977)★12
Hand in Glove (1979) ■「手に手袋の添う如く」
The Fetch (1980)■「迎え女」
The Stains (1980) ★13
Mark Ingestre: The Customer's Tale (1980) 「マーク・インゲストリ―客の物語」(真野明裕)『闇の展覧会 〔1〕』ハヤカワ文庫 1982→『闇の展覧会 敵』ハヤカワ文庫 2005
Letters to the Postman (1980)■「郵便屋への手紙」
No Time Is Passing (1980)★14
The Breakthrough (1980)★15
The Next Glade (1980)■「向こう側の空き地」
Rosamund's Bower (1985) ★16
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