どこで知ったのだったかケイトリン・R・キアナンの作品を2本昔原書で読んでおり、このたび訳が出た『溺れる少女』(鯨井久志訳 河出書房新社 2025)を読了。原書 The Drowning Girl : A Memoir は2012年刊。作者キアナンは1964年アイルランド生まれで、後に米国に移住し音楽や古生物学など多彩な方面でも活動しており、SF、ダークファンタジー分野で高く評価されている。

 

 

 

 

画家の卵で文才もある主人公インプ(本名のイニシャルを取った通称で英語では「小鬼」「小悪魔」を意味する)は、米国北東部ニューイングランドのロードアイランド州プロビデンスに住み、何と当地ゆかりのラヴクラフトの遠縁にあたる若い女性である。(ついでに言えばスティーヴン・キングの地元メイン州もニューイングランドにある。)ある日偶然知り合ったトランスジェンダー女性(作者も同じく性的少数者)であるアバリンと同棲しているが、ある夏の夜、一人ドライブ中に人里離れた川沿いの道路に立つ裸の若い女に遭遇する。エヴァと名乗る彼女を救助して連れ帰り、そのためにアバリンとぎくしゃくする。しかしエヴァはすぐにいなくなるが、奇妙なことにインプの記憶では、エヴァとの最初の出会いがまったく別の場所で、しかも雪の中だったような気もするのだった。元々過去の記憶に、さながら幽霊のように取り憑かれていたインプは、本当は何が起きたのか混乱し妄想の中に落ち込んでゆく。インプが子供の頃見て忘れられない絵画『溺れる少女』がエヴァの姿と重なり、その絵にまつわる人魚かセイレーンのような水魔の登場する地元の怪談が頭から離れない。そしてエヴァはあちこちでインプの前に出没し始める。ちょうど「注意しなければならない、亡霊は伝染するのだ。亡霊はミームだ。もっと言えば、悪性思想の伝染、ウイルスや細菌を必要としない社会的伝染だ。多種多様な方法で伝染する。本、詩、歌、寝物語、祖母の自殺、ダンスの振り付け、数コマのフィルム、統合失調症の診断、落馬による死、色褪せた写真、あるいは娘に語る物語によって。」(p20)とある通り、まさに日本の『リング』や都市伝説のように次々に伝染してゆく恐怖と同じく。

 

訳者あとがきにある通り「本作の語り手は、いわゆる「信頼できない語り手」なのだ。しかし、本作の語りは、並大抵の「信頼できなさ」ではない。」何しろインプは自殺した祖母や精神病院で横死した母と同様に精神を病んで病院通いをする身であり、冒頭からして物語を書く自分ともう一人の自分とが分裂したような状況を呈している。

 

「わたしはこれから怪談(ゴースト・ストーリー)を書く、」そう彼女はタイプした。

「人魚と狼が登場する怪談だ」とも。

わたしもまたタイプした。(p9)

 

もちろんここで「彼女」と呼ばれるのは「わたし」本人に他ならない。時代は21世紀だというのに祖母が残したタイプライターを使って書き、しばしば分身は執筆に茶々を入れる。例えば第2章の冒頭(p36)は以下の通り。

 

「それで、章立てって意味あるの?」そうインプはタイプした。「わたしはこれを読んでもらおうとして書いているわけじゃないし…本でもないなら、なぜわざわざ章立てを設ける必要があるの?そもそも、なぜみんなわざわざ章立てにするの?読者にどこで中断して用を足したり、…眠りにつけばよいか知らせるため、それだけ?…恣意的で都合のいい構成じゃないの?」それでも、彼女は真っ白なタイピング用紙の十七行目に、アラビア数字の「2」をきちんとタイプした。

 

これがまさしくp36の「2」という章番号の直後に書かれている。それどころか時にはタイプした原稿の文字をわざと線を引いて抹消して見せたりする(いわゆる見せ消ち)。

 

だから、わたしにも責任が多少あると思っている。(p227)

 

その他にも現実と虚構の関係を混乱させるような記述があちこちに出て来る。

 

わたしが嘘しか書けないのであれば、この原稿を書く意味はない。

だからといって、すべてが事実に基づくとは言えない。ただ、すべてが真実であるとは言える。少なくとも、わたしに書きうる限りの真実ではある。(p14)

 

「わたしは噓をついている、と思う」そうインプはタイプする。…嘘を書いてやろうとはしていない。といっても、噓を書かないようにともしなかった。(p28)

 

また時系列も途中で大きく飛んでおり、すでに起きていたはずの出来事が結末で初めてあったことのように語られる。記憶は必ずしも現実と一致せず、語ることによって真実となる。

 

人生は整然としたプロットに沿って展開するものではない。自分自身や他人に対して語る物語は技法に沿って語られなければならないとするのは最低最悪のペテンだ。プロット、AからZまで一直線に進む語り、三幕構成、アリストテレスの原理、盛り上がりとクライマックス、盛り下がりを経て解決に至る、そんなものはすべてペテンだ。この世に「解決」など存在しない。わたしたちは生まれ、生き、そして死ぬ。その果てには、未解決のまま、醜く厄介な問題が残るだけだ。(p182)

 

語りの様式もまた多彩で、新聞記事や各種論文や学術専門書の引用、日記、『溺れる少女』を含む2枚の絵、さらにはインプが書いた短編小説(実はいずれも作者自身が過去に独立した短編として発表したもの)も2本含まれ、ちょっとしたモキュメンタリースタイルの趣もある。ルイス・キャロルを始め文学作品や歌の引用やパロディ、言葉遊びも随所に登場し、時には『フィネガンズ・ウェイク』を思わせる箇所さえあり、注釈する訳者の苦労がしのばれる。

 

ただし本書は典型的なホラージャンルの枠には収まらない。インプが物語を執筆するのは精神治療の一環でもあり、彼女はその過程で自らに取り憑いた幽霊とどう折り合いをつけてゆくか模索してゆく。また、別の短編では本作の前日譚が語られ、作中で言及される不気味な芸術家ペローは他作にも登場し、作者の創作世界はより大きな広がりを持っている。

 

訳者の鯨井氏は本職の精神科医にしてSF翻訳家という稀有な人材で、本書の訳者としてこれ以上ない適任と言えよう。詳細な注釈やあとがきの情報のおかげで、原書で読んだ時は分からなかった点が明らかになり大変ありがたい。

 

もう一冊原書で読んだ The Red Tree (2009) は、『溺れる少女』に比べると割とオーソドックスなホラーで、いわゆる「瓶の中の手記」ものに分類できる。のっけから「編集者注記」という体裁の部分で始まり、同性の恋人と死別して悲しみに沈む女性作家がロードアイランド州の田舎にある民家を借りて移り住むが自殺を遂げてしまい、編集者の元に彼女がその家で書いたと思しき原稿が届けられた、という顛末が、いかにもこういう場合によくある脚注付きの文章で語られる。続いてその原稿の内容が小説の本体として展開する。その中で作家は自分の前にこの家を借りていた大学教授がタイプした原稿を発見する。それは家の近くにある「赤い木」と呼ばれる樹木にまつわる怪談じみた伝説を扱ったものだったが、教授もまたその赤い木で首吊り自殺を遂げていた。締め切りに追われていた作家はその内容を自作に利用しようと、同じく教授の遺品であるタイプライターで執筆を始めるが、自分もまた徐々に「赤い木」に惹き寄せられてゆく。作家の原稿部分と教授のタイプそのままの活字を用いた部分が交互に現れ、これもまた一種のモキュメンタリー形式と言える。最後に引用された作家の旧作には『溺れる少女』に登場するペローの名前が少しだけ言及されている。

 

前述の「ミーム」の一例として松本清張の『黒い樹海』が挙げられている(訳者が指摘する通りこれは『波の塔』の間違い)ことからも分かるが、作者は東洋文化にも関心があり、本作ではある女性が漢字の入れ墨をしている。この文字は作中で重要な役割を果たし、さながらルーン文字か象形文字のように神秘的な雰囲気で描写され、英米の小説には珍しく実物も大きな字で印刷されているのだが、これが漢字文化圏なら小学生でも知っているような学習漢字でちょっと微笑ましい。やはりエキゾチシズムの魅力は洋の東西を問わないようだ。