荻世いをら 『彼女のカロート』(集英社『すばる』2010年7月号)読了。

 

この中編小説は、最近フィルムアート社から刊行された同名の選集にも収録されている。選者の一人である作家の町屋良平はこのように述べている。「荻世いをらの控え目に言ってすさまじい小説がなんとか本にならないだろうかとの模索がことの始まりだった。なぜなら、小説において、私は〝まだ見たことのないもの〟を見たいという幻想に憑かれていて、その幻想を信じさせてくれる作品からでないと、これからの新しい小説家、そして新しい読者は生まれえないと信じきってしまっているせいだ。」

 

 

 

 

 

正直に言うとこの作品が理解できたとは思わない。何が何だかさっぱり分からない。だが非常に面白く読めた。と言うか幻惑された。上記の言葉通り、「まだ見たことのないもの」であるのは間違いないと思う。

 

荒筋自体はさほど変わったものではない。墓のメンテナンス業を営む主人公の男はある冬の日に女性アナウンサーの世利まことから依頼を受ける。多摩地方にある伯母の墓の修理と自分がいつか入る墓の建立を頼みたいと言うのだ。彼女は原因不明の難聴を患っていて、主人公は意思疎通に苦労するが、それでも何度かマンションを訪れてカードを使った筆談で相談し、一緒に伯母の墓地を訪れ、墓の建立を手配する。基本的にはただそれだけしか起きず、文体も普通だ。しかしここには不穏で不可解な要素が山のように詰め込まれ、きわめて異様でシュールな雰囲気に満ちている。

 

まず最初に世利まことからの電話がかかってくる冒頭のシーンだが、電話が鳴るのと完全に同時にテレビで正午のニュースが始まり、電話で相手と話すその最中にテレビでニュースを読み上げているのが他ならぬその世利まことなのだ。最初主人公は同姓同名の別人かと思うが、マンションを訪れてみると実は本人であることが判明する。なぜそんなことがあり得るのか説明はないままで、主人公も彼女に尋ねるがはぐらかされて終わる。

 

電話でのやり取りも当然普通ではない。まず相手は話し始めた途端に「あ、やっぱ駄目か」と舌打ちし、唐突に電話は切れてしまう。その間にもテレビのニュースは続き、動物園でアフリカ象の飼育員が話している。その内容がまた少し異様だ。象は「…もともと暖かいところの生き物なんです。やっぱり情緒も不安定になりやすいのは、ここにこうやっていること自体、ツギハギみたいなことなのでしょう。場所と体、食事と季節、色々なことを繋ぎ合わせてこの中で動物たちは生存しているわけですが、このようなことをやっていると、ついには、どう考えても関係のないもの同士まで繋ぎ合わさなければならなくなるものです。…ご覧の通り、この象舎の壁には奇数の数字が書いてあります。理由はわかりませんが、こうしておくと象たちは深く眠るわけです。おまけにこの現象を見るために来園者も増えているのですから、不思議なものです」一体これは何のニュースなのだろうか。その後で再び電話が鳴り、今度は事情を説明して申込用紙のファックスが送られてくる。だがメンテナンスする墓の「墓碑銘」の欄に書かれているのは世利まこと本人の名前だった。

 

冒頭数ページだけでもこのように不可思議な要素がいくつもあるが、まだまだそれだけでは終わらない。世利まことの夫はプロ野球の有名選手世利匡太郎なのだが、彼は結婚報告の中で妻についてこのように語る。「彼女は自分よりも野球のことを知っています。僕は女性、ひいては人間として彼女を尊敬する以前に、いち野球人として尊敬しているのです。これはなんの冗談でも比喩の類でもありません。/彼女は、この職業に就いている自分でさえもなかなか出会うことのできぬ稀有な野球人なのでした。…彼女と知り合って以来、野球というものの大きさを知ることになりました。僕は、それまで野球というものを球場の中にだけあるものだと思い込んでいたのです。でも、そうじゃありませんでした。野球は世界中のあらゆるところにあるものなのです。ゴミ箱の中にも、冷蔵庫のチルドルームにだって。」冒頭の飼育員の話と同様、おそらく現実の野球選手なら絶対に口にしないような言葉である。

 

また彼はマンションの部屋にいるはずなのに何故か一度も顔を見せず、いつも主人公がトイレに行ったすきに外出してしまう。だがトイレには妻が描いた彼の肖像画が貼ってあり、「…それは腐りかけの肉を抉ったような、モデルが誰なのかわからない描き方なのだ。でも、それは間違いなく世利選手だった。…何かがそう彼に知らしめた。」「本当に最初、彼はそれを世利匡太郎だと思った。一瞬というにはあまりに長すぎる数秒の間、彼は世利匡太郎と対峙していた。」世利まことは主人公に言う。「よくわかりましたね。大抵の人は気づかないものですよ。ある人は、私の父親だろうと言ってきました。まあ、それは私の妹なのですが、彼女でさえわからなかったのに、あなたはさすがですよ」

 

この「父親」は代々妾を囲うのが習慣となっている旧家の出で、匡太郎もまた一度だけ浮気をして妻に告白する。相手の女性と思われる悪戯電話がかかってくる。最初は無言電話だけだったが段々とわけのわからないことを言うようになり「うなぎ!とか、ワイン畑にあなたの踵があったよ!とか、元気いっぱいフランス人形!とか、そういう本当に意味のわからない言葉です。…そのときは恐怖が体に一杯で窒息しそうになりました。無意味なことほど相手の心を占領するものはないんじゃないでしょうか。…/でも、ある日、突然気づいてしまったのです。彼女が何を言っているのかを。もちろん、その言葉に意味がないことに変わりはありませんでしたが。ただその女は、その日のお昼に私がニュースで喋った言葉を剽窃しては闇雲に繋げていただけなのです。/そのことに気がついてからというもの、恐れる気持ちは一切起こらなくなりました。どこから来ているのかさえわかれば怖いものなんてないのです。」

 

世利家の側だけでなく主人公もまた少し変わっている。「…彼は墓地が大好きだった。必要がなくてもついつい歯ブラシで磨いてしまうくらいに。そこにいると、どんなに最悪な気分でもひっくりかえって最高の気分になるのだった。/…墓地が世界中のどこよりも落ち着ける場所だという発見は、恐る恐るこの仕事をはじめた彼にとってほとんど僥倖としか言いようのない出来事だった。…墓地は今や彼の人生の隠れ家だった。静かで、空気が澄んでいて、なにもかもが眠っているけれども一人ぼっちではないという感じ。」(ちなみに題名のカロートとは彼の説明によると「石塔の下にある納骨室のことです。…/カロートはカロウトと言ったり、カロウドと言ったりすることもあります。英語じゃなくて日本語で、唐櫃だとか屍櫃なんて書いたりするようですが、一般的にはカタカナで書きます。」)作中で彼は妻から妊娠を告げられるが、「妻が妊娠を報せたとき、どういうわけか彼の脳裏にまず浮かんできたのは一般的な角柱型石塔だった。…でも、それが誰のお墓なのかよくわからなかった。すでにあるお墓なのかもしれないし、これからつくられるお墓なのかもしれない。もしかしたら、それは何十年後かに自分が入るべきお墓なのかもしれない。あるいは、これから産まれてくる子どもが、さらにずっと老いた先に用意するお墓なのかもしれない。」

 

世利まことはある日ニュース番組の最中に突然耳が聞こえなくなり、放送事故を起こしていた。主人公は、「あなたは同じようなことになったことはないの?」と尋ねられ、彼が否定すると、相手は言う。

 

「あります」

と彼女は勝ち誇ったような顔で言った。

「何もないってことはあり得ない。なにも私みたいに、わかりやすく耳が聞こえなくなるとかじゃなくて、きっとあるはずなんです。フィギュアスケートの選手がいつも何の問題もなく跳んでいたトリプルアクセルが突然跳べなくなるみたいに。気づいたら既に、不条理な落とし穴に落ちてしまっているということが。問題はそれに気づくか気づかないかです」

 

彼女はそれまでアナウンサーとして自分の声を常に意識しており、「私は、私の声をまず第一に聞くわけです。私自身の声を聞くわけですから、聞いているのはもしかしたら私じゃないのかもしれない。あるいは、それこそ本当の私なのかもしれない。」だが「…こうなってからというもの、私はほとんど喋らなくなってしまいました。…自分にとって本当に必要なことしか口にする気が起きなくなってきたのです。自分が今まで何を喋ってきたのかよくわからなくなってきました。本当に自分は喋っていたのだろうか。喋っていたには喋っていたのだろうけれども、そのほとんどは何も喋っていないに等しかったんじゃないだろうかと。そもそも、何かについて喋るということがよくわからなくなってきました。考えるっていうことと、喋るっていうことは実は真逆のことなんじゃないかとすら思えてきたのです。」また別の折にはこう話す。「最近私は、自分が言っている言葉と、聞こえている自分の声というのが嚙み合っていないような気がしてならないんです。今だって、私が喋っているつもりのことと、あなたに届いている言葉が別のような気がしてなりません。そこで、正直に教えて頂きたいのですが、私は何か変なことを言ってませんか。」

 

しかし多摩の墓地まで行くのに、世利まことは平気で主人公を乗せて車を運転する。その運転ぶりを見て「車中でふと彼が思いついたのは、実は彼女は耳が聞こえているんじゃないかということだった。耳が聞こえない人がこんなに荒々しい運転をするわけがない。」それを確かめようと主人公は相手を「まことちゃん」と呼んでみたりする。逆に彼女もまた主人公を試すようにこんなやり取りをする。

 

「わかりました信用しますよれれれ」

「えっ」と彼は思わず声を漏らした。

彼女はその表情の変化に気がついたようだった。

「今何か変なこと言いましたか?れれれ」

彼は伝えるべきかどうか少し迷った挙句、恐る恐るカードに書きつけた。

―れれれ、って語尾についてるんですが―

「つけました」

彼女は少しだけ安心した様子を見せた。

 

もはや異次元のギャグかコントの域に達していると思えるほど異様で不条理な会話で、彼女の言っていることがどんどん信用できなくなっていく。

 

マンションにはまるで温室のように植物の鉢植えが並び、姿を見せない匡太郎が鉢植えの陰に置いたCDコンボから常に「夜霧みたいなぼんやりとした」音楽が流れている。「聴いていると頭がどうにかなってしまいそう。」と彼女は言う。奥の方で電話のベルが鳴るのが聞こえるが相手は当然気づかない。幕切れ近く、「ベルの音はどんどん勢いを増しているように思われた。実際にはそんなはずはないのだが、その音はどんどん彼らに近づいて来ているようだった。このままにしておいたら、そのうちに彼女の耳の奥の闇に届いてしまうんじゃないか。それだけは、なんとしてでも止めなければならない!」と主人公はついに我慢できなくなり電話のある場所を探しに行く。なぜか廊下が恐ろしく長く「道が分かれて曲がったかと思ったらまた二つに分かれて曲がった。どこまで行っても廊下は廊下だった。」そしてようやく寝室に電話を見つけ、受話器を取った彼に聞こえてきた声は「男なのか女なのかよくわからなかった。そのどちらでもあって、そのどちらでもないもの。」「その声は、どちらかと言うと自分の声に似ているように思われた。本当のところ自分の声なんてよくわからなかったけれども」

 

最初にマンションを訪れた時、奇妙な飛行船が見える。「それはコンドームの形をした飛行船だった。腐った肉みたいに禍々しい紫色をしていて、機体に STOP AIDS! と書いてあった。」世利まことは「なんだあれ」とつぶやく。それは東の方へ去っていくが、幕切れで主人公が電話に出た後、「窓の外を見ると晴れているのに雨が降っていた。雨は、ほとんど光になって降っているのだった。東の方から手前に向かってどす黒い雨雲が本当にゆっくり、しかし着実に近づいて来ていた。」

 

このように少しずつちぐはぐな、飼育員の言葉にある「ツギハギ」の会話が続き、微妙な違和感が積み重なり、平凡な日常風景をじわじわと侵食し異様な不条理へと「ゆっくり、しかし着実に」変貌させてゆく。当たり前だと思っていた「自分の声」さえあやふやになっていく。これはホラーによくあるテクニックで、本作はもちろんジャンル的なホラー小説ではないが、「墓」がモチーフとなっていることもあって、全くホラーと縁がないとも言い切れない。千葉雅也も解説で黒沢清の映画を引き合いに出している。生と死が表裏一体であるように、墓には墓碑の下に必ず見えない「カロート」が備わっているように、日常と異常とは必ずしも断絶しているものではないのだ。