「おじさんは六十歳になるまで、建築会社の寮で働いていました。でも、ある日社長さんがやってきて『君はもう六十歳を過ぎたから
辞めてください』と言われれ、その日のうちに寮をでることになり
ました。
でも、おじさんは、まだまだ働けるという自信もあったし、
自分で
なんとかするしかないと思っていたので、
なんとかするしかないと思っていたので、
ホテルに泊まりながら、
新しい仕事を探しました。
でも、ちょうど景気も悪くなって、どこも雇ってくれません。
持っていたお金も底をつき、もうどうしようもない状態になりまし
た。
新しい仕事を探しました。
でも、ちょうど景気も悪くなって、どこも雇ってくれません。
持っていたお金も底をつき、もうどうしようもない状態になりまし
た。
こうなったら、自分で自分の始末をつけるしかないと思って、
山に登って死のうとしました。
...
でも、おじさんは死ぬこともできなかった。
その後、町に戻って本格的なホームレスになりました。
山に登って死のうとしました。
...
でも、おじさんは死ぬこともできなかった。
その後、町に戻って本格的なホームレスになりました。
来る日も来る日も残飯を漁って食べていました。
『エサ取り』と言って、わずかな食料を奪い合うように
食べていま
した。
そんな状態で何ヶ月が経ったある時、病気になって
した。
そんな状態で何ヶ月が経ったある時、病気になって
道端で倒れてし
まいました。
まいました。
通りがかりの人が救急車を呼んでくれたようで、
気がつけば病院の
ベットの上にいました。
そうしたらね、看護師さんは親切で、お医者さんも親身に
ベットの上にいました。
そうしたらね、看護師さんは親切で、お医者さんも親身に
なってく
れました。役所の人も来てくれた 。
れました。役所の人も来てくれた
NPОの人もやってきて相談に
乗ってくれました。
あのね、おじさんは自分で頑張るしかないと思って
乗ってくれました。
あのね、おじさんは自分で頑張るしかないと思って
生きてきたんだ
けれど、この世の中には助けてくれる人は
けれど、この世の中には助けてくれる人は
いたんだよね。
『助けて』と言えた日が助かった日だったよ」
中略
最近誰かに「助けて」と真顔で言ったことがあるだろうか。
戦後社会は頑張った分、成果が出た時代であった。
『助けて』と言えた日が助かった日だったよ」
中略
最近誰かに「助けて」と真顔で言ったことがあるだろうか。
戦後社会は頑張った分、成果が出た時代であった。
しかし今は違う
。
。
でも、大人たちは、そのことも理解せず、
「何で頑張らないんだ。
頑張れば何とかなるはずだ。
頑張れば何とかなるはずだ。
お父さんの時代はなあ・・・・」など
と言う。
頑張れたことは素晴らしい。
と言う。
頑張れたことは素晴らしい。
だが、もし、その結果子どもたちが「
助けて」と
助けて」と
言えなくなっていたとしたら、それでいいのだろうか。
子どもたちがある日突然、誰にも「助けて」と言うことなく
子どもたちがある日突然、誰にも「助けて」と言うことなく
自らの
いのちを断つ。
そんな社会は間違っている。
中略
「『助けて』と叫ぼう。
いのちを断つ。
そんな社会は間違っている。
中略
「『助けて』と叫ぼう。
そうすれば新しい出会いがきっとある。
死んではいけない。
生きてさえいればきっと笑える日が来る。
その
ことを伝えに来たんだ。
ことを伝えに来たんだ。
だから、死なないで。生きて笑おう。」
これは『「助けて」と言える国へ』の本の中の一部で、
これは『「助けて」と言える国へ』の本の中の一部で、
元ホームレ
スのおじさんが小学生に話ししている場面。
無縁社会が広がる現代社会の中で、
スのおじさんが小学生に話ししている場面。
無縁社会が広がる現代社会の中で、
家族に困った問題が起こった時
、子どもに困った問題が起こった時、
、子どもに困った問題が起こった時、
身内の責任論のような偏った
考えではなく、
考えではなく、
「助けて」と言葉に出してみるのって、大切なこと
だよね。
「助けて」をプライドを持って言える大人こそが、
だよね。
「助けて」をプライドを持って言える大人こそが、
かっこいい大人
であり、新しい社会をつくるキーワード
であり、新しい社会をつくるキーワード
なのかもしれないね。
にほんブログ村
にほんブログ村