命に対する人の考え方ってそれぞれ。
例えば摂食障害で体重が30キロきって、25キロきって、
生命の危険が迫っていたら、どうこの状態を捉えるか。
病院に入院させてベットに手足縛ってまで点滴して栄養
入れて、命を保つのか。
そこまでしなくても・・・・って思うのか。
私はね、無理やり病院に連れて行って点滴してってするなら
子ども抱きしめて、
「一緒に生きていこう」
って言い続ける。
命守るためであっても無理やり強制したら信頼関係はズタズタに
なるじゃない。
人を信じられない人生。
誰一人自分の味方がいない人生。
そんな人生生きてきた人にしか分からない信頼の重要性。
人を信じることが出来たら、信じられる人がいたら、絶対の味方が
いたら、いつも応援してくれる人がいたら、
人って生きていけるって思う。
不器用であっちにぶつかり、こっちにぶつかりしながらでも、
どうにか自分なりの生き方見つけていける。
人の「死生観」や「命」に対する考え方ってその人の生きてきた
経験とかが大きく影響するように思う。
私は人を信頼できればそれで満足。
親との関係の中で「信頼」を築きたかった。
でもそれは無理なことだった。
だからこそ、子どもとの間には絶対的な信頼関係を築いていこうって
思ったんだろうな。
命に関する考え方で、どれが正解なんてないよね。
生きていれば全てが正解なんだと思う。
でね・・・・今回命に対する考え方で考え方変えた事があってね。
「臓器移植カード」持つことにしたの。
今までは、臓器移植するってどうなの?って思っていたの。
病持ってるご本人やご家族の方には申し訳ない考え方なんだけど。
それって神の領域じゃないのって思っていたのね、臓器移植に関して。
でも、この間6歳の親御さんが臓器提供したでしょう。
あれから、私考え方変わってね。
なんで、今臓器移植可能なこの日本に私が生きているのかって思ったの。
発展途上国なら臓器提供できる、そんな選択できない。
選択できる贅沢な日本に生まれた私。
脳死状態になるか分からないけれど、
私の臓器がリサイクルできるクォリティか分からないけれど、
カード保持者になろうって思っているの。
今までの感謝を込めて、最後のご奉公で臓器提供できたら、
カッコイイよね。