ある病院でのこと。
その人は、50歳代の女性。
その女性のご主人であろう人とその女性より少し
年上の女性に付き添われて待合室で診察を待っていた。
彼女は間髪を入れずにず~っとしゃべり続けている。
待合室に響き渡る声で、彼女の生きてきた今までを振り返っている。
「この方、ちょっと興奮気味だなぁ~、ご家族たいへんだなぁ~」
なんて思ってた私。
彼女が診察室へ・・・。
「入院」という診断が下ったらしく、彼女の興奮度は最高に達した。
「入院」したくない彼女の思いが、暴力的は言葉になって
付き添いの家族を攻撃する。
私は、かつて読んだ武田 徹氏の「殺して忘れる社会」の中に
あった、原罪(sin)についての記述を思い出していた。
「原罪(sin)とは人間誰しも避けることが出来ない有限性であり
欠落である。」
武田氏が言っている原罪(sin)を、もし、七つの大罪とみなすなら
それは誰もが心のどこかに持っているものであって、特別な物では
ない。
七つの大罪により誰もが間違えを犯す可能性があり、
罪(crime)を犯しえる潜在的な「悪」があり、
自らを壊してしまう可能性さえある・・・・。
武田氏の言葉
「許せない者はもしかしたら自分だったかもしれない」
を、私流に変えさせてもらうと
「受け入れられない者はもしかしたら自分だったかもしれない」
もしかしたら私もそうなっていたかもしれない・・・・。
病院で出会った彼女は、私であったかもしれない。
逆に、彼女が私であったかもしれない。
そんなことを思いながら彼女の言葉を聞いていたら、
攻撃的な言葉から、彼女の不安や葛藤や孤独感が
伝わってきた。
そして、彼女に対する愛おしさ。
帰り際に会計で、付き添ってきた家族の方をみかけた。
すがる思いで病院に連れてきたんだろうなぁ~。
入院させてもらえてホッとしただろうなぁ~
でも、思いは複雑だろうなぁ~。
愛から最も遠い存在である「無関心」
「無関心」でいられないからあの手この手を使って、彼女を
病院に連れてきたんだと思うの。
そこに、もう、愛は存在してるよね。