2022年11月13日 映画『ランディローズ』鑑賞レビュー | ミツのロックなライブレポート

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1980年代のHR/HMファンです。ライブハウスにも出没しています。
あくまでも個人的な感想をライブレポートしています。基本的にネタバレですので自己の責任においてご覧下さい。

映画『ランディ・ローズ』を観てきましたー!


映画『ランディ・ローズ』



歴史的ギターヒーローを約束されていたとも言えるランディ・ローズのドキュメンタリー映画である。


事前に限定の前売券を購入していたので印刷ではあるが特典のランディ直筆メッセージ付ポストカードをゲット!


入口に向かう下り階段の壁にはパネル展のようにたくさんの写真が飾られていた。
そしてその全てを撮影してきた。









飛行機事故により25歳の若さで命を失い惜しまれつつも時を経て伝説化したランディ・ローズ。

本作は没後40周年を記念して制作され、11月11日より公開された。

マーシャルビールを売っていたので一杯やりながら観ることとした。
壁面にはランディを紹介するコーナーも

来場者はまばらではあったもののまずまずの集客のようだった。


私にとっては生い立ちから活躍、死を向かえるまで周知のことではある。

音楽学校を経営する家庭に生まれ、8歳の頃にロックギターに目覚める。

そして、クワイエット・ライオットを結成するもバンドはインディーズでも泣かず飛ばすの状態で、上を目指すもなかなか売れない。

仲が良かったヴァン・ヘイレンにも先を越されてしまう。


1978年「Quiet Riot」(邦題:静かなる暴動)、1979年「Quiet RiotⅡ」(邦題:暴動に明日はない)をリリースするもアメリカのレーベルとは契約できず、CBSソニーより日本国内のみのデビューとなった。積極的なライブ活動は行なっていたものの日本公演は実現していない。


ブラック・サバスをクビになったオジー・オズボーンのソロプロジェクトのオーディションに周りの勧めもあって受けることにしたが、場所は夜中、オジーの泊まるホテルでのこと。大して弾いてもいないのに、オジーはその場で採用を告知する。


おそらく当時のオジーはハードドラッカーで、まともな判断はできなかったと思われるが中性的な少年のようなビジュアルに惹かれるものがあったのだろう。


ランディがオジー・オズボーン・バンドに加入した1979年、クワイエット・ライオットは実質的に自然消滅となった。


オジー・オズボーン・バンドでは1980年「BLIZZARD OF OZZ」(邦題:血塗られた英雄伝説)、1981年「DIARY OF A MADMAN」をリリースし大規模なアメリカでのライブツアーも実施される。

これら2枚のアルバムは私を含めHR/HMファンの間でも必聴盤として今でも語り継がれる名盤だ。


成功も束の間、1982年ランディを乗せた小型飛行機が墜落。飲酒していた操縦士とメイクアップ・アーティストを含む3人が即死。ランディは享年25歳。


オジーはランディの突然の死に発狂するほどに悲しみに浸る。

予定されていたツアーをこなすためにまだデビュー前のナイトレンジャーのブラッド・ギルスをサポートにライブを行う。


一方でクワイエットライオットは再結成し、1983年「Metal Health」(副題:ランディ・ローズに捧ぐ)をリリースする。ファンの間ではランディ・ローズに対する売名行為だと批判も生んだが、今回はアメリカのCBSと契約しヘヴィメタルアルバム初の全米チャートNo.1を勝ち取る。売れたもん勝ちとなった。


ただ、私の解釈では1981年AC/DCの「For Those About To Rock (We Salute You)」(邦題:悪魔の招待状)がヘヴィメタルアルバム初の全米チャートNo.1であると思っているが、当時AC/DCは既にメタルバンドの枠組みに収まりきれないほどのビッグバンドであったことも確かだ。


本作の映画の印象であるが、クワイエット・ライオット期の膨大なプライベートショットを含む写真やランディの肉声、荒い映像も多かったがライブ映像がふんだんに使用され、身近にランディに触れることができたのはよかった。


また、Vo.ケヴィン・ダブロウのガールフレンドとランディが付き合ってしまう経緯を写真付きで見れたり、あの飛行機事故直後の映像も興味深いものだった。


メンバーであったケヴィン・ダブロウ、フランキー・バナリ、ルディ・サーゾをはじめとして、ダグ・アルドリッチ(Whitesnake)、ジョージ・リンチ(Dokken)、ブルース・キューリック(KISS)等の同僚のミュージシャンの過去のインタビューもあり、あらためて感慨深いものだと思った。


ただ、期待していたオジー・オズボーン期の写真、映像は一切なく、ランディの死の直後の既に公開済みのオジーのコメントのみだった。

これは正直、期待外れのポイントであったが視聴後に驚愕の事実を知る。


それは、ランディの権利を持つ遺族、そしてオジーの妻でありマネジメントを受け持つシャロン・オズボーンの許諾を一切得られずというよりも、知らされないまま映画は制作に至り完成させ配給となったようだ。


ランディの実姉キャシー・ローズはローズ家に対する侮辱であると、憤慨しているようだ。


ファンの間でも映画への興味とは裏腹に、ランディが好きなだけにこの事実に対する怒りもうかがえる。


さて、これらを踏まえて観るか観ないかを決めるのはあなた次第ということだ。


これも当然許諾を受けていないのだろうが映画館で売られていたグッズはこちら。
ランディが弾いているCDも販売されていた。

パンフレットと、既に廃盤となっていて当時は買えなかったQuiet Riot期の2枚のアルバムを購入。

やはりオジーと肩を並べてランディがギターを弾く姿を見てみたかったというのが率直なところである。ただ40年経っても観に来るファンが少なからずいること自体が伝説のギターヒーローである所以とも言えるのだ。

権利関係でこうしたトラブルが起きるとおそらく今後も公式に許諾を受けたランディの映像が世に出されることもないのかもしれない。