確かに俺の所作は怪しいけど善良でいるから間違いはないと思いたい。
やっぱり外に出ると人間嫌いに拍車がかかるし人見知りもあいまって
そんな態度が外に出ちゃうかもしれないけれど、俺は皆平等に接してるはず。

なんで人間は人との接し方に違いを出したがるんだろうか。全く理解できない。
囲まれてる人間達のあの差異を強調した態度が彼らの哲学から滲み出ているとしたなら
やはり人間の大多数は野蛮で、黒人を差別したあの邪悪な思想の萌芽を想起させる。
やつらが社会を作る以上好き嫌いはあれどあの傲岸不遜な所作は明らかにその社会と矛盾している
己に矛盾を内包していながらその解決を実践しない者に何の価値を見い出せばいいのだろうか。

群れから群れを作るような野生から脱却する術を探る事が人間であるアイデンティティではないのか
彼等が俺と同じ生物だとは思えないが、彼ら一人一人と対話をすれば分かるように
彼等にも善良の片鱗を感じることが出来る。何故実践しないのか。
自己顕示欲が勝るその野性的な行動原理は人間とは一線を画すのだと主張してやりたい。
彼等の正しさを知る故に俺はマジに悲しいよ。恐らくほとんど良い人なのになんで駄目なんだろうか

他人と対比する事でしか己を知る術がない点も、客観性が己にのみ焦点を当てれない点も
人は業が深すぎる。
人が馬鹿とは野生とは一線を画す事を、その意味を考えもしないなんて信じられない。
自己顕示のアホ面が奴らを不快にしていることなんてとっくの昔に気付いているはず。

俺はこれだけ己の哲学を隠すことに心血を注ぎながら、何で人間に期待しているのだろうか
最早俺が奴らに説く以外術はないのに。俺もそれ故に自己顕示をしてる。
哲学を示し合うことでしか人は理解し得ない。哲学を提示しない限り彼等に哲学は起こりえない。
皆善良でいることが人間の目的であると思う。
俺は人見知りだけど少しずつ彼等に哲学を提示できればいいと思う。
喋り方も歩き方も感覚の発露する類は全て哲学を隠すために繕ってるけど
それも少しずつ辞めていく。多分無意味だけど俺の周りくらいは善良であってほしい。
対話することでしか魂は作り得ない。あの野蛮な空間から脱したい。
取り敢えずクラスの授業中はマジで喋るのやめてくれないと数年前の俺が蘇りそうで怖いぜ。
モルガン・スポルテス君の講演会に行って北。
以前からゲットーにアンテナおっ勃てて、特にフランスの輩連中に食指が伸びてたので結構タイムリーだったのだ。

というのも彼のtout tout de suiteという新作がバンリュー(郊外)の移民たちが起こす
犯罪を扱ったもので、彼の著書は拝見したことがなかったけれども
他にはロシアスパイのゾルゲについて書いた本や(スパイゾルゲって映画あったよね
少年犯罪を書いた本、だとかちょっとフランス人から話を聞ける機会がないものかと伺ってたから
私のアンテナがごいすーエレクトしたのだった。

この移民達の問題っていつだったかNTMとかIAMとかを知った時だったり
アメリカの移民問題だとか私の脳内では最早クラシックな命題と化していて
頻繁に考察するから一応自分の中で結論を付けて彼の話に耳を傾けてたのだけれど
なかなか彼の思惑は掴みにくく、やっぱりそんな簡単に言葉にする事出来ないんだな。
とそう感じた。
だけども一つだけ、彼は「これは政治的な意図を持ってして書いた。」と語った。

正義と悪が対立しているように、上と下がブルジョワとプロレタリアが対立している。
これはつうか移民の問題は確実に社会構造の問題で政治の問題であるのだけれども
私にはこの論議が数千年繰り返されている辺り、そこに生産性や建設的な議論は見いだせない。

モルガン氏が言ってた「政治的な意図」が経済の問題であったらば
それを解決したとして、フランス郊外に再び血が通い
移民の彼等が現在の中流階級程の賃金を得られたとしても
フランス人というピラミッドにいる限り「下」は存在するわけで
人が本能的に「上」を目指し、そういう社会という構造が存在する以上
つまり人間が群生動物である以上「上」をいく行為は性であるのだから
「下」は無くなりはせず、その時また社会もしくは経済の問題だ。と過去あったように
その時代の人間は考えるのではないかしら。
この手の議論は何も解決しない問いである。と思っている。

この先の話となると善悪の話になってしまってもう収集つかなくなるから
やっぱり本であったり誰にも語らず自分で納得しておく他ない気もする。
今週も明日で終わる事になっているのであるが、今週は結構頑張ったんだよ。
本をたくさん読んだし、しこたまノートを取ったし、しこたまレポート書いたし
やっぱり煩悩と戦ってきゃつらを打ち負かしたわけだ。

今週読んだ本はなんだっけ、水いらず読み返したり移動祝祭日読み返したりだったか。
新規の本を何冊か積んではあるのだけれど、今取り掛かってるレポートをやっつけるには日曜くらいまで時間を頂かなきゃならんので彼らと戦うのは来週になるな。


今週は知人クラスの人と気さくに話すことが多くて、いよいよ社会が俺を欲してるのかと
今まで冗談で言ってた文句がリアル世界に顕在化し始めている気もする。
「やあ」だったり「今日発表なんだっけ」だったり、やっぱり当たり障りない事柄なんだけど
普通の人達が会話するような形で話しかけられたり話しかけたり。
私も遂に、再びあの社会へ踏み入ろうと片足突っ込んでる状態なんだな。

私があすこへ到達したらば遭遇したい出来事。は前々から夢想していて、幾つかあるんだけど
最も頻繁に駆られる妄想はというと、断然「議論」なのだ。
そもそも私がこの豚箱とも呼べる悪臭に満ちた部屋から脱出するべきだと考えたのは
議論を求めていたからであって、大学に行く理由っていうのも色んな要素があったにせよ
つまるところ議論の場を求めていたからなんだよね。

で、気付いたけれどあそこには議論だとかいう熱苦しい情熱に満ちた人間はいそうにない。
多分サークルとかに行ければ会えるのかもしれないけれども、絶対に病むからなあ。

最近というか私ら世代ですらそうだったからゆとり世代は皆そうなのかもしれないけれど
実際に「哲学?うわ俺嫌いなんだよね」だとか「真面目かよ」だとか言われたもので
それを言った人は冗談で言ってたけど、若い子は冷めてんなーと思う。
どうせ私が幾ら彼らに説いたって無駄なのは承知だし、そんなんする気力もないけれど
奴が言ってたとおり、そしてイメージしてた通りに大学という社会の軽薄さには辟易する。
まぁ私みたくココしかないと思って通ってる子は少ないだろうし
国立落ちてやる気なくしてる子が多いんだろうけれどもさ。

それで、あの社会ってばつまりそういうかび臭い空間であるので
早くもというか4月辺りから若干そうだったように、ちょっと疲れ気味である。
あの社会を維持する為の笑顔だとか気の利いた言葉だとかいうシステムは重要なのかね。
私の顔面って対人になると途端に笑っちゃう燃費が悪い筋肉で覆われてるんだけど
それってとてつもなく偽善的な習慣だから一刻も早く捨て去りたい。
私は自己嫌悪凄まじくて自信なんて欠片もないから取り繕っちゃってるんだろうなあ。
そういえばネッ友と議論してる時も相手の言い分を認めちゃう寛容っぷりだから
なかなか自分の主張の真面目さだとか伝わらないんよね。あー。

もう少しエスプリの効いた会話が出来たら溶け込めるだろうし
そうすれば彼らと真剣な意見の対立だとか、いやそもそもそういう話にならないのが問題だな
だって皆冷めてるからなあ。私の方からアプローチするのもうざいだろうしなあ。
カミュの異邦人って絶好の機会なんだけどなあ。