viviの徒然読書感想文。

viviの徒然読書感想文。

※勧誘とか怪しげな人のコメントはごめんなさい、削除します。

今までに読んだ本を、レビューのように感想を書いていきます。
気が向いたらコメント頂戴な。

あらすじというものはあえて書きません。

わたしの感じたままの、温度感を、伝えられたらいいかと。

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映画をやっているというので、久しぶりに読んでみた。

引っ越す前までは、
こんな風に、身近なところに喜びを見つけて、
何でもないような幸せに身を浸すなんてことは、
いいなと思いながら、あまりに他人事だった。

でも今は、前を向いて歩けるから、
歩くスピードで目に入ってくるものが新鮮で楽しいから、
しっかり噛み締めようかな、なんて。
1とはうってかわって、劇団のみんなが成長を見せていて楽しい。

「役者をやっていられるなら貧乏でもいいなんて考え方は好かん」
「お客さんをバカにするような人に僕たちの舞台を見せるもんか」

このふたつに、しびれる。

好きなだけではやっていけない。
好きなら貧乏でもいいなら、
お金が1円も入ってこなくても好きと言えるか?
この考え方が、すごくしっくりくる。

青春のやり直し、も。
大声で誰かと喧嘩したことってないな。

小器用でいろんなことの立ち回りができて、
社会人として立派にやっていくことと、

ひとつのことに没頭して、他のことは何もできないけれど、
ものすごく鮮やかな才能をのびのび昇華させること。

どちらが幸せなんだろうか。
でも、
バランスよく生きている人間こそ、
きっとうらやましく感じるのだと思う。

「脚本は、役者に向けて全力で書いたラブレター」
惜しげもなくそう言える、受け止められる世界。

一人称の語り手ほど、信用ならないものはない。

簡単にいうと、
母親に愛されて、そして母親を愛しすぎて、娘を省みない女と、
祖母に愛されて、そして母親を愛しているが、
母親から省みられない娘の、

お互いのボタンがかけ間違えられたままの母子の話。

親がどんなに素晴らしいひとで、徳が高くても、
娘を同じように育てられないならば、
そのひとはやはりそれまでだということなのか、
それとも、子供を自分の理想通りに育てようなどと、どだい無理なことということか。

ほんの数センチでいいから、
母の、娘の、その言葉の奥、表情のしたにあるものを見ようとしていたら。


でも、そうはいかない全く違うところから、
スクラップ&ビルドが起こったりする。

ハッピーエンド、と、呼んでいいのだろうか。


自分のことを価値のない人間で
分け隔てなく接してくれるひとにしがみついて
そういう自分を嫌悪し、侮蔑し、
自分を受け入れてくれた友を、
受け入れてくれたことが理由で憎しみすら覚えてしまう。

そうやって自分勝手な自己完結でひとりを選んで、
実は相手を傷つけ、悲しませていたことに気づかない。

わたしが、あなたでなければならないのと同じように、
あなたも、わたしでなければならなかったなんて。

皮肉にも、周りには、別れてよかったと思われて。

自分はもっと、目の前にいる大切なひとを信じて大切にしなければならないことを、
自分の歪みのせいでそれに気づかないんだけど、
歪みがなければ、そのひとの歪みとのピースが合わなくて、
無二の関係は生まれていなかった。

オチは途中で見えた。
大切なことを伝えようとしている話だ、と思った。

だけど、最後のページで…

熱に浮かされたような高揚感で
それでも肌に冷たい秋の訪れの風が頬を冷ますような

ずっと、花火の打ち上げを瞳に映し続けているような、
そんな感覚に包まれました。

一概に、面白いのに日の目を見ない先輩、とか
そういうのではなくて、

徹底的な才能と努力と、
誰よりも芸人らしい生き方をしながら、
ひとり、遠くへ行きすぎて、誰も追い付けない人。

そんな先輩に憧憬の念を抱きながら、
先輩と同じ生き方を選ばず、
それなりに器用に立ち回りながら、
先輩のことをどこか軽蔑し、
のたうち回るようなもどかしさを感じ、
追い付くことも、引っ張っていくこともできない。

どちらにも行き着くことができないなりに、
等身大に苦しみ、悩み、前を向いて、涙を流し、次の自分へ向かっていく。

ずっと終わらないで、
妙に居心地がいい、このままでいたかった、感覚。
ひと夏の青春の思い出、のようでした。



昔の自分だったら、
10代までの自分だったら、

友情のあり方が変わること、
ライバルだと認めていた唯一の人間が
どんな理由にせよ、
戦線を離脱するなんて、受け入れられなかっただろうと思う。
例えそれが、フィクションであっても。

この感覚に戻れない自分は、
少しは大人になれたのかしら、と思うと同時に
あのころの自分勝手でがむしゃらな気持ちに戻れないことを、
すこしさびしく思います。

そして、ライバルと思っていたひととの差を
切磋琢磨しながら必死で埋めていたはずなのに、
少しのきっかけから、いつの間にか差が開いていって、
相手がいつの間にかはるか遠い次元のかなたに行ってしまうことへも。

それでも、
新しい変化を、楽しいと思います。



いい意味で、モヤモヤとした読了感。

ひたすら地味で、
底辺の底辺同士(表現として不適切だったらごめんなさい)が蠢き合っている感じがして、
主人公の上から目線、そして自分がよっぽど自分勝手でおめでたい思考をしていることに気づかないのも情けない。

そういう間違いにひとつひとつ気付き、いちいち劇的に感動しているのもなかなかうざい。

でも、こういうものなんだろうな。
俯瞰でこうやって見ている自分が、
自分はなにもかもわかってます感で見ている自分のような人間の、多いこと多いこと。



デーモン小暮閣下メイクで熱唱している羽田先生を思い出して、
主人公をそのまま羽田先生に当てはめてしまった。

やっぱり、作者の生き方とか、性格とか、投影される、よね。
「走れメロス」には原案があった。
太宰は無名時代、異なる名前で駄作を発表していた。
ぼくの出生には秘密があった。
先代には大きな罪があった。

わたしたちは新しく、洗練され、便利なものを享受されるかわりに、
先達たちの犯した罪をも背負っていかなければならない。
自分はほかの人間とは違う。
ひととは違うことを考え、
自分の弱さや醜さもすべて理解し、
自分を慕う人間を疎む。

この恋は、ぼくときみの間にしか起こらない奇跡で、
息の詰まるような興奮とざわめきは永遠の一瞬で
きみに利用されていると知っていてもなお
きみを愛し、けれど主導権を握っているのはぼくだ。

そんなふうに、
世の中のひとはほとんどがひとりひとりそう思っている。

誰にも言えない秘密を持っていると思っていても、
そんなことはちっぽけなことでしかない。

水底から這い上がり、生きて伝えて変えてみせると誓っても、
きっと。