6月24日から7月15日にかけて約3週間、欧州(オランダ、ドイツ、フランス)にて桜月流の短期集中クラスを開催いたします。

オランダ、ドイツ、フランスには日本文化に造詣の深い方々がたくさんいらして、とてもうれしく思います。

きっと、様々な思いもよらなかった質問を受けたり、想定外の状況に陥ることが予測されます…

今までの海外レッスンにおいても様々な想定外の状況に遭遇し、とても新鮮で面白かった思い出があります。


『舞う剱。運ばれる身体』 

今回のレッスンでは桜月流の剱の稽古を通して、日本人の合理的な身体術、そして日本人の美しい精神(和の心)をしっかりと、わかりやすく、欧州の人々に伝え、真摯な文化交流の結びつきを深めたいと強く思っています。

剱に生きる様々な先達の術理や哲学に学び、新たな気付きを授けて頂くたびに日本という美しい国に生まれることが出来た幸福を感じます。剱の稽古を通して日本の底力を少しでも多く知りたくなります。

桜月流美剱道という技芸が持つ「和の力」を世界中の人々にお伝えする事が僕の夢ですので、苦手な英会話も剱の持つ表現力を頼みに乗り越えて全力で奮闘したいと思っています。

どうぞ皆さん、世界に向けて日本の剱を発信し続ける桜月流を応援してください。

美しい剱の道…美剱道、がんばります。






(2007年に書いた『踊り』というタイトルのブログなのですが…新しい友達にちょっとほめられたので完全に図に乗り、再び掲載してみました(^^)…以前読んでくださった皆さんも、大変恐れ入りますが…よろしければもう一度読んでください…)


『舞う剱。運ばれる身体』 


最近、比較的、フィギュア・スケートが好きだ。

子供の頃は好きじゃなかった。

スケートのスピード競争を見るのは好きだったが、フィギュア・スケートを見ていると、踊っているのか滑っているのか…なんだかよくわからないなぁーという感じがしていた。

と言うより…氷上である、ないにかかわらず、『踊り』という行為自体があまり好きではなかった…のだと思う。

タイムやゴール、ポイントなどで相手をハッキリと打ち負かして勝敗を競うのでもなく、子供の目からは優劣の見分けさえもよくわからない類いのスポーツ…?芸術…?しかしながら何か華やかで、大勢の人の目を惹き付ける力のあるモノ。

『何でダンスするんだろう?』

毎日の生活のほとんどを草野球で占めていた子供時分の僕には、「目に見えないモノ」の価値が良く理解出来なかった。

その後、剱の稽古を始めて、剱の動作の中に舞踊的な要素が見られることに気付き始めてからも、剱と踊りは別物…と頑なだった。

しかし…剱を扱う技術のことを考える機会が増えるほどに僕は、舞踊的な要素の重要性に目を向けざるを得ないという気がし始めた。

そしてある日、雑誌の中で見つけた記事に『何でダンスするんだろう?』という問いかけへの答えを見つけた気がした。


『…ネイティブ・アメリカンは、枯葉が落ちる様子、川が流れる様子、雪が空から降る様子…など日々繰り返される見慣れた自然界の営みを眺めて…それら全てのことを「ダンス」と言う…』

…たしかこういった内容だったと思うが、衝撃を受けた。

自然のリズムで営まれるあらゆる事象…時と共に日々生まれ、日々色褪せて行き、日々滅して行く…うつろい行く生命の流れと波こそが『ダンス』。

そこに決められた音楽はないが、生命自身の持つ鼓動、バイブレ-ションに導かれて揺らぎ、動き続けて行く様を、我々日本人と同じ血を持つアメリカ大陸のモンゴロイドたちはダンスと考えたのだ。

感動した。

秋の枯葉は風に揺れる。
春の桜の花びらたちは空に舞い、いつか地面にその身を横たえる。
川の流れはうねるように流れて、
月に照らされた海の中では魚たちが踊るように泳ぐ。

この宇宙では皆が踊っている。

ネイティブ・アメリカンの澄んだ瞳を通して見ると、自然界の中で毎日毎分行われているありふれた営みさえも生命の輝きに溢れたダンスに見えていた。

剱を手に持ち振るう姿も生命の煌めきと考えれば、踊っているのだろう。

恥ずかしながらダンスという言葉が大好きになってしまった。

…きっと、大人になってもジャズダンスのレッスンでうまく踊れなかった劣等感が『ダンス』という言葉に対して抵抗感を持つ追い打ちをかけたのだろう。

でも、ジャズダンスがうまく踊れなくても、毎日の生活の中で懸命に生きていれば僕はダンスを踊れている。

昨日、10月1日に千葉県館山市の南総里見祭で殺陣や剱舞のご披露をさせて頂きました。

例年は館山城址公園にて開催される合戦絵巻が、今年は30周年ということで赴きを変えて、館山駅からほど近い北条海岸の砂浜にて開催されました。

祭前日の下見の際は風速20mという強風で、立っているだけで身体も剱も持って行かれそうになり、足元のおぼつかない砂浜と相まって、とても厳しい状況でしたので翌日の本番が無事に進行するか大変不安に感じました。

出演者の皆には、もし本番中に足元の砂が身体を支えてくれなかったり、強風で手にした剱や槍、もしくは身体のバランスが崩されたりしても、粘り強く演技を続けて、わざわざ合戦絵巻を観に来てくださった皆さんに出来る限りたくさん楽しんで頂こうと伝えました。

本番前日の夜は、宿泊先の女将さんの御厚意で旅館の大広間で稽古もさせて頂くことが出来ました。有難いことでした。

松竹衣装の石澤さんは連日様々なコーディネートに追われて、見ているこちらが心配になってしまうほど働き詰めでした。頭が下がります。

桜月流は剱(殺陣)で恩返し、と申しますか、自分の務めを果たすしか術がありません。と思うと、なおさら翌日の天候と足場の状態、そして自分のパフォーマンスの出来不出来が大変心配です…

そして当日、薄曇りの天候の中、太平洋を広く見渡す海岸にて僕は北条氏康という里見八犬士の敵役を演じたのですが、約40分にわたる合戦絵巻のクライマックスで相澤美千子の演じる犬塚信乃、池内亮太の演じる犬田小文吾との立ち回りを演じて祭の幕引きの一端を担わせて頂きました。(ちょっと大袈裟に言い過ぎました。客観的には、『祭の終盤で八犬士たちに斬られて退散する武将を演じました』です…)

結果は…いかがだったでしょうか…お客様にお聞きするしかないのですが、僕なりに精一杯の準備と実演を行うことが出来たようには思いました。もちろん、もちろん、次は乗り越えたい課題もたくさん残ったのですが、次回の活動に繋げて行けるような段階には行けたのではないかと独り思っています。

合戦絵巻を御覧になってくださった皆様、本当にありがとうございました。

終演後に皆さんが声をかけてくださったことが、とても嬉しく、励みになりました。この先も僕たちを支えてくれる温かい出来事でした。

次は、12月の「衣川幻想~完全版」に向かって、意識を高めて参ります。どうぞまたお支えください。


あの3月11日以降、「『生きる』って何だろう」と考える時が増えました。

やっぱり、その答えは見つかりませんが、ただひとつ思うことは、「恨み」「妬み」「憎しみ」といった恥ずべき感情を少しでも少なく、その代わりに「喜び」「楽しみ」「優しさ」といった思い返すだけでも胸の中が熱くなるような感情が少しでも多く自分にもたらされるような態度で現実と向き合って、しかし自らの人生に起きることは全て自分の責任と受け止めて、残りの人生の日々を過ごして行くことが「生きる」という本来の目的に近いのではないかと思っています。

どれだけの時間が僕に残されているのかわかりませんが、「僕は死にましぇん!!」ではありませんが、もし人間が何かの使命を持って生まれているとしたら、その志半ばの内は死を免れることが出来るのではないかと稚拙にも信じていたいと思っています。

いや、違いました。その志半ばで倒れた先人の例えを見ても、その言葉、文、笑顔、といったひとつひとつの面影は、その人の死後においても、その志の輪郭を立ち上げる熱を持ち、後に続く人々および残された人々を励まし、支え、突き動かす力となります。であるとすれば、人の意志、魂はある高みに到達することによって、不滅という解放を得るのではないかと思います。

思うに、私達桜月流ひとりひとりの魂を不滅とする為の器は剱にしかありません。

今日一日を価値高く生きて、不慮の死を迎えようとする瞬間にも自らを励まし、その未知なる一歩へ踏み出す為に必要な何かを知りたいがためにも今日も剱の稽古に向かいます。

剱を持ちて、舞を舞い、物語を語る。あの3月11日という日を目の当たりにして、改めて、それが桜月流の使命と感じています。

「衣川幻想~完全版」は、そんな思いに突き動かされた、やや客観性の足りない夢見がちな我々が語る、この世で一番美しい物語だと思っています。どうぞ御覧になってください。


『大上段~真っ向斬り降ろし』という動作は、自らの手にした剱を頭上高く、その切っ先が天を突き上げるような心持ちで上段に振りかぶり、次に、前方の相手に対して真っ直ぐに刃を斬り降ろし、その斬り終わりにおいては剱先(切っ先)地に鎮めるような心持ちで振り降ろす動作です。


この一連の動作は、剱を振る訓練においてまず初めに学ぶ第一歩であり、第一歩であると同時に、剱の動きを志して後、何年と経っても迷いを感じ、腐心させられる動作であります。


しかしながら、剱先を天に向けて舞い上げるように振りかぶり、その刹那、一瞬、天とつながったかの如き剱先の気を地に向けて鎮める心持ちで振り降ろす時、技術的な優劣や拙さなどはあまり大きな問題ではないようにも感じます。実際、武術的な心得のほとんどない私にも充分楽しさを感じることが出来ます。


なんだか理由は良くわからないのですが…天に向けて剱を振りかぶり、地に向けて斬り降ろすと、とても気持ちが良いです!


天地、と私。みたいな感じがして、とても心地よく感じる時があります。


と、同時に…全く矛盾したことを申しますが…この『真っ向に斬り降ろす』という動作ほど人間にとって不自然な動作もない気持ちがします。


(そう思う理由…次回、書きます…また、『国語力』…スミマセン、敦子さん、明日書きます…!申し訳ありません…!)