備忘録です。
前の記事と重なる 10月29日金曜夜中
病院からの呼び出しで 車から見た 下弦の月。
夜中の2時に、雲一つなく澄んだ真っ暗な空。
きれいに ちょうど下半分の形の月。🌗
あ、下弦の月。
(息子の中学受験勉強で)習ったとおりだと感動しました。
待機中に調べたら10月29日は本当に二十三夜で下弦の月の日でした。
夜中に帰宅後は、いつ病院が電話が来るのか気にしながら、息子の今日の塾テスト勉で書いた漢字をチェックしたり。
さすがに明け方4時には眠くなり仮眠。
朝6時、夫はゴルフへ。
今日は近くのゴルフ場で良かった。
息子は少し風邪気味で、今日病院に連れていきたい。薬をもらっておきたい。
無事8時に塾テストへ出かけていきました。
いつ電話くるかなとそわそわしながら、葬儀屋調べ。なんとなく、何件かは頭にあったけれど。自治体の認定葬儀屋一覧から良さそうなところを探して。
9時半ごろ病院から電話。
心拍が下がってきているので来てくださいと。
病室には入れない、いつ亡くなるかもわからない。また一旦帰宅になるかもしれない。
子供は病院1Fの待合場所までしか入れない。
息子に家の鍵を持たせるの忘れた。
息子は風邪気味で今日病院連れていきたい。
夫は何時に帰宅するのかわからない。(ちなみに 今日のは上司とのゴルフで、私は大事な仕事だと思っている )
葬儀屋を探しておかないといけない..
良いのかわかりませんでしたが、父と妹だけで病院に行ってもらうようお願いしました。
私は後から行くかもしれないけれど、と。
金曜から放置で つまらなくてご機嫌ナナメの娘。忙しくなるかもしれないから学校の宿題やらを片付けてと。
私は葬儀屋に電話で問い合わせ。以前からよく近くを通り見ていた、私と父のマンションから近いところ。
妹に、連絡しておきました。
万が一があれば、連絡来てから1時間半以内には病院へお迎えにいき、葬儀まで安置してくれると。丸ごとお任せできる感じなんですね。
10月30日 12時40分に母は永眠しました。66歳。
死亡確認の後、妹、父は 母と面会したそうです。
妹が葬儀屋に連絡して、14時過ぎには病院まで来てくれ、15時には葬儀場かつ安置部屋に。
葬儀の打ち合わせをするとのことで私も合流しました。
ちょうど夫が帰宅。
母は死化粧されていて。鼻チューブの跡だそうで左鼻が一部 赤黒くなっていたけれど。
お線香をあげました。
葬儀までの間は、自由に面会して お線香あげて いいんだそうです。
父は疲れがでてきたのでしょうね。葬儀で決めるものは ほぼ私が決めていいと。
資料も私に渡してきて。
また明日 葬儀屋で打ち合わせがあります。
妹は、4歳、1歳の子供がおり 丸1日帰っていないので帰宅することに。次は葬式の時でよいと。
妹の旦那さんは自宅でリモートワークだったので 妹は昨日すぐに家を出れたのは良かったかも。
またまた うちの娘は放置になってしまいますが、面会できるし一緒に連れていこう。
なくなった人を見るのは初めてと怖がっていますが。
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父は現役で会計の仕事をしていますが、68歳。
疲れるよね。40歳近い私でさえ、若い時に比べて体力がなくなったと思うのですもの。
この2日間、父と長い時間を過ごして 父がぽろぽろこぼした言葉。
「うちは運がいいから、奇跡的に意識が戻るかもしれない」
「来月、結婚40周年だったんだけどな」
「日曜のBSテレビで一緒に見てる時代劇(?)ドラマがあって、お母さんが退院してから見れるようずっと録画してあげようと思ってたんだ」
「大河ドラマ、一緒に見てたんだけどな」
「おれは毎日祈ってたんだ。俺の命を縮めてくれていいから お母さんが長生きできますようにって」
(母が がん再発の宣告を受けた時に 父が涙流しながら「おれの命を半分あげたい」って 私と2人の時に言ってたなあ)
親と近居しておいて良かった、父と妹と私の3人で協力できて良かった。
誰かが欠けてたら きつかったです。
何よりも金曜夕方からだったのが不幸中の幸い。父も妹も、妹の旦那さん、うちの夫も みんな土日休みだったので。
仕事の調整で急にドタバタしないだけマシに感じた。
私だけ働いていなくてすみませんですが。
で、母の悲しみとよりも まず感じたのは
普段関わることのない職業の方への感謝の気持ち。
病院に昼間にしか行かないからわからなかった。夜も働いてくださっている方はたくさんいます。医師、看護師をはじめ たくさんの方が病院で働いているとあらためて気づきました。
夜中でも受付には何人か事務の方もいて、スーツや制服みたいなの着ていて。
葬儀社の方も、24時間体制で受け付けているわけで。本当にありがたいと思いました。