再発発覚後、抗がん剤を再開して10か月。
5月くらいからは、副作用の強かったイリノテカンは抜いて、残りの2つ(フルオロウラシル 5-FU・レボホリナート LV)だけの抗がん剤をやっているようです。
イリノテカンをぬいてからは、副作用は少し減ったようです。
先生の都合や、母自身の都合で 3週間間隔にすることも。
体調は安定している、らしいです。
細かい体調不良やら、色々あるのでしょうが、私に言ってこない部分も多いのだと思います。
再発時に、確か 母が使える抗がん剤の種類は残り3つ。現在最初の1つめですが、その効果も1~1年半で効かなくなる時がくる、と伺った気が。
だとしたら、もうすぐその時期がくるのかな、とか。
慣れというものは恐いもので、今の抗がん剤との共存を当たり前と思い、これが永遠に続くのだという錯覚に陥ります。
つらいものからは、目をそらしてしまう、考えないようにしてしまう。
でも、それでいいのだと思う。
母は、自分がいなくなった後の父を心配して、今から父に家事を慣らさせたいみたいだけど、(父は洗濯機のボタンに迷うレベル)たぶんそれは必要ないよ、と思いますし、今、練習なんてしたくないでしょう。
たぶん父は、(考えたくないけど)母がいなくなったらちゃんとやると思います。
母がいなくなったら、、のことを仮定して行動なんかしたくないさ。
それは私も同じだから。
想像したくない先のことなんて、先回りして考えたくない。
その時に考えるだけでいい。
少し前までは、準備派でしたが最近変わりました。変わったつもりです。
昨今の犯罪事件や災害、備えの限界、言葉では言い表せない悲しい事件が多く、なるようになると開き直ることで精神を保っているような気にさえなります。
夫の海外出張でも、そわそわ心配してしまう私。
もっと強く、タフになりたいな。
母は全てを私に話しているわけではないでしょうが、やはり味覚はにぶいままのようです。
思いっきり美味しい!と感じることはないということ。
あまり知られていない抗がん剤の副作用な気がします。
風邪を引いて何日か味覚がおかしいだけで、食事が楽しめず気が滅入るのに、一生抗がん剤と共存=一生味覚が正常じゃない、なんて、どんなにつらいんだろうと思います。
抗がん剤をして3日は体調があまりよくなく、その後はまあまあ、次の抗がん剤までの10日を過ごすわけです。
次の抗がん剤が予定通りできるかわからないから、母へのお誘い(こども(孫)と会ったり)は、抗がん剤をできた日にできます。
たとえば、来週末にピアノ発表会があるとしたら、今週抗がん剤をやれた時点で ようやく「来週末は体調が大丈夫」とわかるので、発表会のお誘いができるということ。
今週抗がん剤がスキップになったら、来週抗がん剤になるので「来週末は体調悪い」ので誘えない。
そんな感じで過ごしています。
娘のピアノの発表会は実際は今年3月にありまして、幸い見に来れました。
母は体調に不安があるようで、遠出はしたくないそう。車なら多少は大丈夫で、電車は苦手みたい。
なので、こども(孫)の学校行事や習い事行事、地域のイベントなどをできる限り声をかけています。
先日の息子の学校音楽会も来れました。
秋から運動会、生活発表会、来春にまた娘のピアノ発表会、小学校入学式、娘の7歳七五三とあるけど、どうなるかな。
七五三だけはうまく参加できるといいのだけれども、予約があるし、難しいかな。
まあ参加しなくても、娘の七五三姿を見せられることを願うばかりです。
西日本豪雨で被災された方もたくさんいらっしゃいます。無差別殺傷事件もありました。
悲しいニュースをみるたび、安らかな最期を迎えることは簡単なことではないと考えてしまいます。
ぽっくり逝かれた芸能人の方をみて、母はうらやましいと言ったことも。
突然逝くことは、心残りもあるのかなと思いますが、母のように、寿命が近い宣告を受けながら長年生きるのもつらいのかなと思ったり。
考え方は色々ですが、母の立場であるガンの場合。
苦しみもありますが、残された時間を使えるともいえる。
ガンに関する本を読み漁った時期があり、「ガンで死ぬのは不幸ではない」という言葉がすごく印象的です。
おこがましいですが、その言葉の意味が最近少しわかった気もしました。
自分だったら..自分の寿命は知りたくないかな。