ゆんさん2才になりました。 | にゃんともワンダーランド

にゃんともワンダーランド

猫ばっかの我が家の日常とオタクな話で進行していくと思います。猫好きさん、オタクな方はどうぞ。
ご指摘などは常識の範囲内でお願い致します。

今日はにゃんの話題はあまりないのですが(苦笑)



こんな2才に。

7月の末の方なのですが。早いなーの一言ですね。男の子は小さいうちは病気しやすいと聞いていたのですが、まだ2才とはいえ特別なにもなく元気に育ってくれて感謝の限りですね(ノ´▽`)ノ

2才まで色々な不安もありました。どちらかと言えば1才までに集中していましたが(^▽^;)
と、いうのも大概が1才代で不安は解消されたのです。息子ゆんさんは比較的身体的発達の早い子で小さいと不安になっていたらただ単に身長に持っていかれる細身の子だったり、10ヶ月には普通にスタスタ歩いてましたし(゜ρ゜)
離乳食の進みもよく、好き嫌いもなく。だからこそ言葉が遅れるかもしれないと不安が募っていましたがなんのこっちゃなく11ヶ月でママーと呼ばれたり。今はごめん15秒黙ってもらっていいかな?と思うほどになりました。ただの「ママ、ごほん」とかの二語文ではなく「ママも一緒にねんねよー」など繋いだ会話文らしい言葉も喋るようになり、1才5ヶ月から始まったイヤイヤ期も苛烈を辿るものの「イヤ!」といわれることもなく(これは謎です)、最近は「いいのー。」なんてさらりと流されてしまいます。コミュニケーションの発達のお陰でこちらが止める理由も少しずつ理解できるようになり、説得も可能になり親と子なのに変な物言いだとは思いますが距離が縮まっていく感覚です(笑)
いつでも可能とは言いがたいですし、でも彼には彼の理由があるわけですし極力こちらも譲歩し彼にも譲歩してもらう形をとっています。

赤ちゃんの頃から、こどもの世界がすごく面白くてですね。物理的な意味でも精神的な意味でもしゃがんで目線を合わせることによって見ているものや言いたいことがほんのり伝わる。お互いリーディングで通じあっていたものが言葉に変換されるのは少し不思議な気持ちでもあります。
にゃんたちから学んだ、リーディングはこどもを育てるにあたりとても役立つツールになっている気がします。


意味わかんないことはいっぱいあるんですよ。それこそ山程。でもこちらにとって意味わからん、ワケわからんってことでも相手には理由があるわけですし、そこにしゃがみこんでその世界をほんのすこし、覗かせて貰ったとき。キラキラしてます。いつでも。何でもできると思っている、出来ないだろうけどぶつかっていく心意気は大人になった自分はないもので常識や世間の目、あらゆるしがらみにおいて枠という型どりの中で生きる大人には新鮮でした。毎日同じでも楽しくて新鮮。毎日違っても楽しくて新鮮。ゆんさんを見ていると、自分も昔はこの世界を持っていたのだなぁと思うとしゃがむことを教えてくれたにゃんたちに感謝が溢れます。

私の持病のせいで安易にいつでもお出かけ出来なくても、家の中でも楽しく遊んでくれて外へいっても楽しく遊んでくれて。いつも美味しくご飯を食べてくれる。楽しそうにやかましいほどにお話をしてくれる。お手伝いをしてくれてにゃんのご飯のお皿は誰が誰のものか全部覚えてくれて。にゃんのことが好きで。私に「ママ頭いたい?」と心配してくれる。いつも新鮮とれたての幸せをくれる。



ママの息子になってくれてありがとう。
ママは世界で一番のしあわせものです。

にゃんたちありがとう。
寂しい思いも、退屈な思いもさせてるのにいつもすりよって甘えてくれて。
やっぱり、私はしあわせものです。


そしてそんな私たちを支えてくださる方々にこのゆんさんの2才を無事に迎えられたこと、感謝申し上げたい所存です。

ありがとう。


ありがとう。