少しばかり昨日の続き。 | にゃんともワンダーランド

にゃんともワンダーランド

猫ばっかの我が家の日常とオタクな話で進行していくと思います。猫好きさん、オタクな方はどうぞ。
ご指摘などは常識の範囲内でお願い致します。

昨日の記事で保護したことに対しての責任の話をしましたが、じゃあ責任ってなんでしょう?
そもそも動物を飼養するのにはお金がかかります。保護の地点からそれは始まります。例えば動物病院に行って検診をすればそれでお金がかかります。自身が保護宅にできない場合、預かり入院をさせてくれる病院さんもいます。勿論これにもお金はかかります。自身が保護宅になるとしてもお金はかかります。そして更に里親募集をかけるまでそれは続きます。なかにはそのまま自分の家族として迎えるかたもいらっしゃるでしょう。
何も負担を背負わずに何かをすることはできないのはこの保護の話に関さずとも全てに共通することではないでしょうか?

しかしながら中には保護はしたけどお金が、体調が、自信が…と様々な事情を抱えていらっしゃる方もおられます。なので昨日の記事にもある通り周りに相談をしましょう。愛護団体はあります。しかし私も存じている通り何処も基本的には満タンです。お分かりでしょうか?それだけ保護された子達がいて、それだけ本来の幸せを取り戻すための子達がいるのです。
場合によってはうちでは無理ですと断られる場合もあるでしょう。でも、お願いです。挫けず、当たっていってみましょう。
しかし、大前提として。保護するならば自身で責任を持つ覚悟が必要です。先程も申し上げた通り何も負担を背負わずに何かをすることは出来ません。渡してなんとかなれば解放されるようなものなんかじゃありません。

外で暮らし助けの手を待つ子達は万と言うほどいます。そして、そこから保護され、本来の幸せを取り戻すためもしくは今度こそ幸せになるために迎えてくれる場所を待っている子達は山ほどいます。

私達と動物は別種ですから、権利や命、立場に対して同等に思うことは非常に難しいことです。それは彼らの表皮を覆う毛があったり言葉を喋らなかったり、私たちは二足歩行をし言葉を喋り意思疏通を行うというあくまで見た目に顕著に出ている特有のものはとても大きいのではないかと思います。じゃあ、動物、人間、種も違うしまったくの別物とした話でするならば。
どんな生き物でもその一個体に命は一つしか宿っていません。そしてこれは全ての生き物に共通する点です。種は関係なくなります。且つ、ないがしろにされる理由もなくなります。
本来であれば言うべきことではないのかもしれませんが、私自身被虐児童でした。
時代的に今ほど子供への取り組みがありませんでしたから周りの人間は明らかに見てみぬ振りをしました。
でもどれだけ差しのべてくれる手を待っていたことか。どれだけ普通の当たり前に憧れたことか。それがどれだけ幸せに見えたことか。
人間でもこの有り様です。
隔たりを持たれている動物はどうなるでしょうか?動物だから、喋らないから、意志の疎通が出来ないから。けれど、やはり彼らにも命はあります。命ある彼らは救いを求めています。幸せを求めています。
押せば返ってくるように、愛せば愛してくれます。
保護したということは一瞬でも手を差しのべてしまったということ。保護する地点で腹はくくって頂きたいのが本音です。でもどうしても放っておけない!と保護してくださる優しい方もいらっしゃる。でもその後ただ何もせず見守るだけでは一度伸ばされた手は逆に絶望になります。
ご自分でどうにかできない場合、必ず周りに相談してください。保護してくださったあなたのお陰でその子は幸せを掴む可能性が出来たんです。

今日は感情的にお話をさせていただきました(苦笑)



胡真ちゃん、数秒間は支えなしで首を上げられるようになりました!!

ちなみに昨日は強制排泄なのですがおしっこも成功しその流れで、うんちもちょっとだけだけど出ました!よし!!