ドグラ・マグラ読みました。その1。 | にゃんともワンダーランド

にゃんともワンダーランド

猫ばっかの我が家の日常とオタクな話で進行していくと思います。猫好きさん、オタクな方はどうぞ。
ご指摘などは常識の範囲内でお願い致します。

今日はにゃんの話でもネコバッカ王国の話でもなく最近読んだドグラ・マグラという本の自己考案です。ネタバレを含むことを先にご容赦くださいね(;^ω^A
且つ他サイト様と意見の重複または見解の違い等あるとは思いますが一個人の見解ですのでこれもまたご容赦いただけますと助かります。

ドグラ・マグラという本は夢野久作氏執筆の世界三大奇書と唱われるものです。夢野久作氏は探偵小説を主に執筆される方だそうで殊更このドグラ・マグラという作品に於いては10年の歳月をかけて構築をし執筆後47歳の御生涯だったそうです。
そしてこのドグラ・マグラ、世界三大奇書と呼ばれる所以というものがありましてその内容が穏やかじゃない。読んだら気がおかしくなると言われているのです。
私自身タイトルこそ知っていましたしその噂も聞いていましたがずっと気になっている作品の1つでありました。それでネタバレやらなんやら読み漁りもうこいつは読むしかないぜってな経緯を持って遂に手を出してしまいました。

読破後の率直な感想として、脳味噌掻き回されるような感覚でした。実に面白い。そして間をあけながら読むもんじゃないなーというものです。

脳味噌掻き回されるといっても常日頃から小難しい理屈や日常においてどうでもいいことを考えることが好きなタイプの人はこれが非常に快感だと思いました。私もその一人です。作品自体は探偵小説の基礎に倣って(作中にもこういった表記はありますが)ありますが作品の構築上忘れてしまうと混乱してしまうので短期で読みきることをおすすめします。

さて、簡単な説明になりますが一人の青年が精神科病棟で時計のブウウーーーンンンーーーンンンン・・・・という音で目を覚まします。ところがどっこいここはどこ私は誰?状態。すっかりもって記憶がないのです。この青年の視点(作中は「私」という一人称)で話が語られ進んでいきます。そんな彼の前に現れたるが九州法医学教授医学部長 若林鏡太郎という男性。この男性は大学の同期であり信頼関係にある故正木敬之教授の意思を継ぎ「私」の記憶を取り戻させるために色々なものを見せ、聞かせ記憶を引きずり出そうとします。ところが佳境に入り亡くなったと聞いていたはずの正木教授が目の前に現れ驚愕の事実を知らされる。振り回され続けた「私」は斯くして己が何者か解ったのだろうか。
そんな粗筋です。

さて、内容に沿いながら話を整理しつつ考案を進めていきたいと思います。
まず、主人公である記憶喪失の青年「私」は大正十五年十一月二十日の夜中に時計の音で目を覚まします。ちなみにこの日付は若林教授が後々に「私」に教えたものです。「私」は床の上で大の字になって眠っていたようですが自身の手で探る容貌に驚きます。四肢は肥えて汚れており鼻が尖っていて眼が落ち窪んでいる。しかも髪は蓬蓬で顎髭もモジャモジャ。こんな人間を知らない!とびっくりしますがそもそも自分が誰かなのかも解らないことに気付き落胆します。ここで想像できるのが散髪は幾分か前であり髭も剃るような状態でなかった。まして体も汚いとくればお風呂にも入れていなかったのですね。眼が落ち窪んでいるというのは非常に病的であり衰弱しているようにも思えます。しかし痩せてはいないのでしょうね。四肢は肥えているのですから。
そんな彼は若林教授が現れる前に自身の記憶がなくしかもさっぱり思い出せないことに落胆したり逆に知らないからなんだってんだと急に開き直って面白可笑しく爆笑したりと一種の錯乱を見せます。自暴自棄とも言えるでしょうか。

朝食を終えた「私」の前に若林教授が現れます。この地点では「私」は彼が何者なのかわかりませんがこのような印象を抱きます。身長六尺を越える大男で顔が馬のように長く皮膚はとても白い。薄長の眉の下に小さな眼があって青白い瞳、鼻は外国人のように高く唇は肌の色と一綴りに白い。まぁ病弱そうなんですね。そして一種の異様な性格の持ち主と「私」は感じます。ネコバッカ王国がここで思ったのは名前こそ日本人のそれだが異国の方の血が混じっているのかなということと勿論病弱そうであること。それから度を越した真面目な人間であろうこと。これは「私」と一致していると思われます。

そこで「私」は若林教授からここは九州帝国大学の精神病科の7号室であること、故正木敬之教授の新式治療を受けていた一人だということを知ります。恐らくこれは大正十五年十一月二十日の午前帯だと推測します。この新式治療が狂人の解放治療です。そして「私」は自身をこの最貴重研究材料として提供しその脳髄の正確な作用によってこの研究を成功させ全世界に名を上げたがその実験結果で現れた強烈なショックで記憶喪失なったことも知ります。無論そんなことを言われて黙っていられるわけもなく「私」は若林教授に自身のことを教えてくれと迫りますが、若林教授は自分自身で思い出さなければ意味をなさない旨を伝えられてしまいました。
そうして狂人解放治療場の経緯を聞きます。ここで一つ、この作品のキーポイントは時系列にあると思われます。故正木教授は大正十五年二月に着手、大正十五年七月に完成。そこから四ヶ月(大正十五年七月~大正十五年十月?)まで実験を行い大正十五年十月二十日に亡くなる。それと共に狂人解放治療場は閉鎖される。その実験とはかいつまんで言うと一種特異状態の「私」が過去の記憶を回復し空前怪奇の犯罪の真相を知ることでした。そしてその犯罪と言うのが今後も物語でも出る精神科学応用の犯罪らしい。このようなことを聞いて「私」は狼狽えますが相も変わらず若林教授は淡々と話続けます。ここでまた考案です。若林教授の態度から察するに「私」は一個人ではなく正しく研究材料であり結果を出すためのものでしかない。真面目すぎるほど真面目、ある種の狂人とも言えるかもしれません。
ちなみにこの空前怪奇の事件について特定の人名こそ出さないものの若林教授が説明を粗方にしてくれますが、読み進めるとわかることなのですがこれはあくまで若林教授の視点での解釈から起きる説明なのです。しかしながらこれを聞いた「私」はそういった事実のひとつを脳に入れ込みます。
更に若林教授は今の「私」の精神状態を故正木教授は仮に自我忘失症と名付けていたことを教えてくれました。ちなみにこの自我忘失には段階があり、夢中遊行→自我忘失→自我覚醒という段階を踏むとまで教えてくれました。さて、ここでまたひとつ脳に入り込みましたね。
それでも食い下がり名前を聞き出そうとする「私」ですがやはり若林教授は自身で思い出さなくてはならないと念を押します。そこで故正木教授が残した色々なものを見せ自身の名前を思い出すことができるかの実験を提案しました。
まずに髪を切ります。病室に理髪師が入ってきてこのように言った際少しばかり若林教授が焦りを見せます。このまえの通りの刈り方でよろしいですか、と。更にはちょうど丸一ヶ月前のことで、と。
おかしな話ですね。大正十五年十一月二十日まで目か覚めなかった、もしくはそれ以前の記憶がなかった「私」は丸一月前である大正十五年十月二十日にも散髪をしていたのです。しかし「私」はそれを覚えていない。理髪師にたいして誰こいつばりの反応すら示すのです。しかも若林教授の態度から考えるにこの事実を「私」の何かに引っ掛かるのは好ましくないと思われるのではないでしょうか?
私は大正十五年(それはいつのことだかわからないが)という記述も気になりますね。確かにここまでの作中年号は出ていないので月日のみ。これはあえてなのでしょうかね。
そして理髪師に髪を刈られている間にもしかしてこの行為も何度も繰り返しているのでは、とか若林教授への疑念にも駆られます。それも束の間お風呂へ入るため病室を出ます。そこには七号室の文字、患者名は書かれていない。これもキーポイントのようですね。風呂場へ向かう途中秋の空気を感じ幾分か乱暴な洗い方を看護師さんにされましたがスッキリしていい気持ちになったところで指定された衣類は大学の制服でした(この時代は大学生にも制服ありますもんね)しかも妙に馴染むサイズ、渡された腕時計までもぴったり。この腕時計は六時二十三分を指し示していました。
看護師さんが去ったあと自分の容貌が気になり鏡を探しているとさぁ若林教授の参上です。大きな鏡に写る自分を見て「私」は驚きました。三十やそこらの髭武者で人相が悪いもんだと思っていたらなんと二十歳かそこいらの青二才だったのです。額の丸い、顎の薄い、目の大きい。まぁ美青年だったわけですね。そんな自分に驚きながら自身のことを思い出したかと催促のように若林教授に聞かれますがやっぱりわからず仕舞い…。
そこでまたあらたな実験に踏み出すことになりました。



今後の記事に続きます。