前回の記事で



“学校で

簡単でわかりきった

単純なことばかりさせられるのも

仕方ないことだと理解出来る。”


などとは言ったものの

夏休み前にあった

授業参観は

だいぶ衝撃的でした。


教科は“算数”

たまたまなのか?

あまり見る機会のなかった

算数の授業でしたが

その内容にはちょっと驚きました。


小数の単元。

二つの小数の大きさを比べて

不等号で示す。

それだけで1時間ダッシュ

小数点第二位までの数と

小数点第三位までの数を

比べることがまだ難しいのが

小学四年生なんですね。

桁が増えると数が大きいような気がするのか?

小数が1より小さい数を表すことに混乱しているのか?

子どもたちの頭の上にはてなマーク???

たくさん見えていました。


大人なら当たり前に

一瞬でわかるようなことを

1時間かけて

なるほどーひらめき電球全員に

理解してもらうのは

とても難しいですよね。


①最初からわかっている子

②少し考えたらわかる子

③よーく考えてみたら気が付く子

④説明を聞いているうちにわかる子

⑤詳しい説明でわかる子

⑥もう一度教えてもらってわかる子

⑦最後まで完全には理解できなかった子


教室の後ろから見ているだけでも

↑の様子がよくわかります。

先生も大変だー!

↑の上方の子も下方の子も

どちらもある意味大変ダッシュ

真ん中あたり③④⑤の子に合わせて

授業は進んでいきます。

先生の説明やヒントで

気が付いて電球キラキラ閃いてくれたら合格100点

⑥⑦の子で意思表示が出来る子は

ちゃんとフォローしてもらえるけれど

言えない子は置いていかれますし

①の子は最初から放置です。

褒められるとしたら②の子。


先生の説明の途中で

みんながはてなマーク???となって

時間が止まったような瞬間に

①の子へ先生の視線は注がれますが

いやいやそう上手くはいかないよ〜

と思いながら見ていました。


息子はというと

自分がいつ挙手して

何をどう答えるべきか

先生が何を答えて欲しいのか

考えてる様子でしたが、

それがわからずほぼほぼ傍観者。


難しいですよね。

先生がどんな流れで

易〜難と説明を進めていき

みんなの気付きと理解を深めようかなんて

10歳の子にはわからない。

まず既に理解している子にとっては

易→難の違いがわからない。

今回の授業では

3パターンの考え方を挙げて

その中から一番わかりやすかったのは?

と最後に問い

「そうだよね!そうなんです。

小数の大きさを比べる場合は

このように考えるとわかりやすいです。」

となる授業でしたが

①の子にはそこが難しい!


毎日毎時間

こんな感じなのかー

息子も大変だろうな‥。


衝撃的で驚きの連続でしたが

とても貴重な授業参観でありました。

高IQ・ASD・DCD・低緊張


これらでの困り事とは。


とその前に


“息子の場合”

なので

同じ診断名が

付いていたとしても

(たとえ全て同じ診断だったとしても)

ひとりひとり違うものとして

考えないといけないのは

大前提。


持って生まれた性格や

育った環境だって

人格形成に

大いに影響するものです。

それを言ったら

そもそも困り事なんて

性格的なものなのか

環境的なものなのか

発達段階的なものなのか

躾や教育の行き届かなさなのか

そしてそれが本当に特性なのか


親だって(本人だって)

本当のところよくわからないのです。


「お母さんのせいではないです」

「躾が悪いなんてことはないです

そう言ってもらったとしても

何のフォローにもならず

じゃあ何なんだい!!となるだけ。

まあこれが

理由や根拠のない

突如とした困り事=“特性”

ということなのかな?と。



それでも

このくらいの(特に男)子は

みんな同じです。こんなものです。

と言われてしまうこともあって

気にし過ぎ・細か過ぎ

厳し過ぎ・うるさ過ぎ

暗にそう言われているように

感じることも。



当たり前ですが

自分の子だけしか育てたことがなく

比較対象がないので、

まだ出来なくてもよいことを

出来るようになって欲しいと思っていたり

出来て当たり前のことを

まだ出来なくても大丈夫だろうと

思っていてしまったり‥

一般的な感覚とズレていないか

そのあたりが難しいところです。

うちは特に子一人なので。


診断を受けた機関や

相談機関の

心理士さんやドクター


学校の先生方


周りのママさん方


それぞれから

掛けられる言葉も

まったく違っているのも


『こんな困り事があります』


と一言で言えない

息子の特徴かもしれません。

こんな事がありました〜と

書くのは簡単かもしれませんが

上記↑の通り判断しかねるのです。




ただ思うのは


高IQということだけでの

困り事は

(息子に限らず)

存在しないのでは?



高IQなので〜と

困り事や生きにくさなど

見聞きすることもよくありますが、

純粋に高IQだけ

他に何もなければ

学校でも社会でも

そんなには困らないような気がします。

高IQですから

自分でどうにか対処出来るのです。


学校で

簡単でわかりきった

単純なことばかりさせられるのも

仕方ないことだと理解出来るし、

何度も繰り返し習得する子や

何度繰り返しても難しい子など

様々いることも理解しています。


相手に合わせて話をすることも

求められた時にしか

自分の知識や教養を表に出さないことも

張り合ってくる相手に

同じ様には張り合わないでいることも

出来るのです。

高IQの人は

自分が周りと違うことを

ちゃんと理解しているから。


それらが我慢出来ないのは

高IQだから

ではなくて

高IQ+何かしら持ち合わせている

のだと思います。

授業を受けられないとか

宿題が出来ないとか

学校がつまらないとか

誰しも多少は感じているような不満を

そんなものだと我慢出来ない。

それが発達障害で

特性・困り事となるのだと思います。


前にどなたかのブログで読みましたが


公文をするなら

3学年以上は先へ進まないと!

実学年や1・2年程度では意味がない〜

というような内容でした。

お子さんが公文を始める時の

先輩ママからのアドバイスだったそうで


少し計算が得意とか

少しみんなより先に進んでる〜

くらいだと

自分の力をひけらかしたり

周りを下に見たり

学校の勉強を意味がないと思ったり

ただ勘違いするだけ。

3学年くらい進むと

比較したり自慢したりせず

雑念が入ることなく

自分の目標を見据えて

しっかり力をつけることが出来る‥

といった内容だったような。

うろ覚えでスミマセン。


あきらかな周りとの差を自覚すると

人は違ってくるということです。

高IQの人は

生まれながらに能力が高いので

早いうちから

周りとの違いを認識しています。

精神的にも

落ち着いているので

周りに譲ることも出来ます。


ただ

大人たちが

気が付いて認めていなければ

我慢やストレスをためて

辛い思いをしてしまうかもしれません。


小学校というところは

能力が高い子を評価する場ではないので

教わる前から知り得ていることは

授業の邪魔でしかないのです。

義務教育ですから当然かと。


長くなってしまった上に

話題が少々ずれてしまいました。

何日か寝かせて

読み返したり書き直したりもしましたが

もうそのまま出します。

“高IQの子の困り事は

高IQ以外の特性がもたらしている”

私はそう思っています。