お久しぶりです。


いろんな記事を

書きかけては保存し

保存しては書き直し

書き直しては

うっかり消してしまい

という日々を過ごしておりました。

(ただの言い訳)


うーむもやもや人生いろいろですね。

いろんなことがありますよ。

母として人として

私にとってのテーマは

“許容”だなと

自覚した今日この頃でございます。


息子に対しても

自分の価値観を押し付けがちで、

息子の子どもらしい

特性らしき言動を

なかなか許容出来ていません。


「野生児だった私は

4年生の頃どうだったのかい?」

を常に念頭に置いて

(そりゃ酷かっただろうよ〜それに比べれば‥と)

息子に接するようには

気を付けているところです。

自分が出来なかったことは

まあ出来ないよね。

私の血を引いた息子なのだから。


出来ることに目を向けるって

良いところを見てあげるって

距離が近ければ近いほど

難しい気がしています。

私の許容範囲が狭いだけ?

器が小さいだけかもしれませんが。


学期末だったり

連休があったり

イベント目白押しだったり

とても良い気候なのに

なんだか心が忙しく

落ち着かない毎日です。


人生いろいろ。

本当いろいろありすぎです‥。

所変われば人も変わり

子も変われば

自分も変わっているのでしょうか。




昨日は

コスモス畑で癒されてきましたガーベラ

うっすら月も出てきて

月の観察の宿題があったばかりの息子が

コスモスとだけでなく

月とコスモスと一緒に

写真に撮って欲しいと言うので

夫と必死に撮影大会をして

気が付くと日が暮れていて真っ暗。

秋の素敵な時間でしたー。



めっきり秋めいてきましたね。

気持ちの良い

過ごしやすい気温の日が

増えてきました。


そして

いろいろな“シーズン”到来ですね。


変わらず塾には

通っていない我が家も

6月と秋の始まりの今頃は

毎年、“テストシーズン”!

という感覚があります。


これまでは、

地域最大手の塾で

学力テスト&応用力(選抜)テスト、

日能研で全国テスト、

そして全国統一小学生テスト、

(あと、時期は少々ズレますが

二番手三番手塾?の難関中テスト)

↑これらを受けてきています。


転勤して少し環境が変わり

最大手塾以外は

住んでいる市にはなく

車でも電車でも

30〜60分程離れた

隣の市まで行かなくてはなりません。


日能研の全国テスト(10月)は

息子が珍しく?

また受けたい、受けようかなー

と言い出したのですが

受けるとしたら

11月の難関チャレンジが良くない?

とか

小一時間かけてテストを受けに行くとか

どうしたもんかなー

とか

そう言えばその日は学校行事じゃない?

午後受験したとしても間に合う?

とか

ぐるぐる🌀考えてしまっています。

息子が受けたいって言うなら

「はい喜んで〜!」

と気持ち良く

言ってあげれば良いのにね。


もうテストは

全統小だけでいいかなー

と思ってみたり、

全統小だけだとあまりに少ない?

年2回にかけるみたいになって

ちょっとプレッシャーじゃない?(私が)

とか心配してみたり

相変わらずブレブレです。


市の中心部や駅周辺にも

それなりに学習塾的なものは

たくさんあるのですが、

ローカル塾なのか無知なだけか

よくわからなかったり

最近の流行りか地域性なのか

個別指導塾が多かったり

公開模試的なものはあまり

見つけられません。


隣の県庁所在市ならまだしも

地方の田舎の市では

中学受験なんてする子は

ほぼほぼいないだろうから

(物理的に通学が厳しい)

仕方ないですよね。


息子に

中学受験なんてとんでもないと

今まで全然現実的ではなくて

その前提で

今の市・学校を選んで転居してきました。

でも

高学年に差し掛かってきた今

学校の授業が

つまらなくてつまらなくて

大変そうです。

ただ読んで

ただ書いて

ただ解いて‥

宿題も

何日も何回も同じものを

ただ書き写して

ただただ書いて‥が

キツくて堪りません。


前にも書きましたが

こんな感じです。

小数を習い出していても

1.571.515(だったかな?)のどちらが大きいか、

わからない子ばかり。その1問に1時間。。


どうしたものか。

夫ともいろいろ話したりしています。

再度転居→中学受験!?なんて

今更で突飛な発想にも

なったりならなかったり。

でも

このまま長閑な場所で

公立の小学校中学校と

過ごすのはあまりにも息子には

大変そうで悩んでしまいます。


テストの話から

脱線してしまいましたね。

テストを受ける“前提”みたいなものが

少し変わってきそうなのかもしれません。


受け身の勉強は

表面的な成績しか上げず

本当の力がつくとは限らない。


と前記事で書きましたが


単に

やらされた勉強は

身に付かないよ!

と言いたいわけではなく。



あまり努力もせず何もせず

ある程度のところにいてしまうと

少しの努力で

ある程度以上になってしまいます。

簡単にそのレベルになったかと

周りからは見えて

天才だと勘違いされたり

自分でも

学力が上がったつもりで

天才に仲間入り出来そうな

気がしてしまいますが


それは思い違い。


“成績を上げたい”

“〇〇に合格したい”

と目標があるのは

良いことですが

そこがゴールになってはいけないのは

もちろん


上げてもらった成績で

進学先を選んではいけない。


と強く強く感じています。


自分がどの程度努力出来るのか。

どのくらいのレベルの中にいるのが

適しているのか。


天才なんてそうそういないものですが、

ある程度以上の力を持ってなお

努力することを惜しまない者こそ

天才なのでは?と思っています。

努力を努力とも思わず

常に上へ上へと

積み重ね目指すことが出来ることが

才能なのだと。


私は高IQでもなく

もちろん天才では全くありません。

中学の勉強が

そこそこ出来た程度。

だから

高いレベルでの話では

決してなくて申し訳ないのですが


私がかつて垣間見た

天才たちの世界。

そこには

必死に努力して突き抜けていく人

とは別に

“毎日を楽しんで

余裕でそこにいる人”がいました。


野生児だった頃の私のように。



自分の居る場所を間違わないように。


しがみついて

必死についていく毎日を

充実だと思えるか

苦しいと思うかは

人それぞれです。


息子には

身の丈にあった目標と

人生を楽しめる選択を


未熟な私は

ついつい思ってしまうのです。