「閖上」の忘れてはならない記憶。 | 〜 シゲさんの「疾風勁草」ログ 〜

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2014.6.1~ReNew!

〜Photologue〜

写真一枚からの日常ログを書き綴っていきます。

それと、、、(不定期になりますが)
東日本大震災から丸三年が過ぎた今、自身で経験したボランティア活動を一枚の写真から振り返っていきたいと思います。

もうすぐあの震災から三年…。




 ”防災無線が鳴らなかったから、


 (津波は)何も無いと思った。。。”




これは、名取市閖上の元公民館館長の証言。




NHKで定期的に放送され続けている番組、


 「証言記録・東日本大震災


を見ました。


連載から25回目となる今日の放送は、


「宮城県名取市」
~誰も想像できなかった~ 名取市閖上。




息がつまる思いで見ました。。。




津波以前の町の映像が沢山流れて、


あらためて変わり果てた街並みに絶句でした…。



そこはかつて自分も居たところだし、


懐かしい思い出が沢山あるところ。



友人が来れば閖上の魚屋に刺身を買いに行ったし、


日曜になれば、家族・親戚と朝市に行った。


だって、ひと袋一家族では食べきれないほどの量を安く買えたんだもの…。




夕方にはハゼやカレイを釣りに行ったし、


真冬の早朝には突堤に出てアイナメをブラクリで狙った。


子供の頃からの親戚・従兄妹達が集まると、浜のプールや林の中のサイクリングコースに遊びに出かけた。


・・・その場所、今は無い。





   *   *   *




今日の証言でTVに出てくれた丹野さん。


中学1年の息子さんを津波で亡くされたお母さんです。


自分も現地でお話をお聞きしました。



・・・その丹野さんの言葉。


被災地に来てピースで写真を撮ったり、


泥だらけの写真を見つけたと一緒に記念撮影する姿を見て、


震災後すぐの頃は後ろから石を投げたといいます。




・・・でも今は、、、


ここ閖上に来てくれるだけでありがたいと。



あの震災を忘れないで欲しいからだと。



そう、


自分たちに油断があったことや、


危機感が欠如していたことを、


伝えていかねばならないと…。



一瞬にして人の命を飲み込むのが津波だと、


その悲劇を語り部役として務めてくれています。



ご自身の悲しみを超えて・・・。





   *   *   *





冒頭の、元公民館長の言葉から得た教訓。



 ”むしろ、防災無線が鳴らないときほど、


 実は大災害を疑わなくてはならない”




あの日あの時、驚く程静かだったという町の中。


強い地震によって町の防災無線が壊れたからサイレンが鳴らなかったということは後からわかったこと。




何かに頼って、それを信頼して、


それが頼りにならない時、


信じられるのは、やっぱり自分の情報力。




想定や思惑、


そして、大丈夫だろうという思い込み。。。


その判断の誤りが、


自然の大災害では生死を分ける。


このことを忘れちゃいけない。。。


そう、自然は恐いんだということを。






閖上日和山の裏に寝かされている石碑。



書かれているのは、


 「地震があったら津波の用心」。

 - 昭和8年3月3日に突如強震有り

  40分後に異常な音と共に

  10尺の津波が押し寄せた -



残念ながらこの石碑の教訓は、、、


石碑の存在すら忘れ去られていたと聞きました。





過去からの知恵を、


悲劇を受けた人たちの証言を、


日頃から身につけ、伝えていかねばと思った次第です。





悲しみから、この記憶の蓋を閉めるのではなく、


悲しみを超えて、伝え続けるということ。




この閖上の「誰も想像できなかった」ことは、


絶対忘れてはならない記憶なのだと思います。





-END-