閖上・ユリアゲ -Vol.1- ~先ずは僕と閖上との距離感 | 〜 シゲさんの「疾風勁草」ログ 〜

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2014.6.1~ReNew!

〜Photologue〜

写真一枚からの日常ログを書き綴っていきます。

それと、、、(不定期になりますが)
東日本大震災から丸三年が過ぎた今、自身で経験したボランティア活動を一枚の写真から振り返っていきたいと思います。





名取市閖上(ユリアゲ)。



もともと閖上は一つの町として独立していて、


1955年、近隣町村と合併して名取市になった町。



僕の自宅は同じ名取市でも高館地区といい、

内陸に向かって仙台市を一旦通った先にある「高館山」の一部にあり、その昔は高館村という町だったそう。。。



閖上などと合併した後、名取市の開発事業で山の一部が削られて高台居住区になった場所。


そう、いわゆる仙台市のベットタウンで、同じ名取市といっても、閖上の歴史とは比べものになりません。




その自宅から閖上をのぞむことが出来ます。





手前道路を真っ直ぐ海に向かうとそこが閖上。



日曜朝は車でよく閖上朝市に出かけた…。


また、休日の夕方は閖上港で竿を垂らして小鯵やハゼなどを釣ったものです。




そしてこの高台から左を向くと、




そこには仙台市の中心部が見えます。


そう、この高台の下は仙台市。


写真左には仙台南インターがすぐあります。




僕と閖上の距離感はこのような所。


そう、同じ名取市でも津波の心配は皆無です。




それでも…、


海を見たいとか、


魚や赤貝を買いにいくとか、


こども達と海のプールや、

サイクリングロードに行くとか、


当時乗ってたパジェロで砂浜を滑走するとか、


そして、夕陽を見ながら釣りを楽しむとか、


車で15~20分程度で行ける、心落ち着く、無くてはならない場所。


そんな思い出いっぱいの場所、そこが僕の中の閖上です。





   *   *   *









冒頭の写真の場所。


「閖上の記憶」という地元NPO法人が運営している施設。



「語り部」の案内や、


写真展示や映画の上映などを行っていました。




上の写真は、その施設内に展示されている海側から見た航空写真。


左が旧街並みで右が現在の街並み。



左下にある、プールなど・・・、今はもうありません。


黒い松林も半分以下に減っています。







こちらは、内陸側から見た今昔の閖上。



細い道路にびっしりと民家・商店が連なっていた町がすっかり真っ更の平地に変わり果てました。




そう、僕の閖上は、狭い街並みゆえの薄暗いイメージ。


それが、日当たりだらけで、風が吹き抜ける荒涼とした街並みに変わっていました。






こちらはそれぞれの人の「閖上の記憶」。



付箋紙に一言・一語書いてその場所に貼り付けられていました。


僕も…、

昔よく釣れた自分のハゼ釣りポイントに付箋紙を貼ってきました。



これを見ていると時間がいくらあっても足りません。。。


思いを切って後にしました。





そして、最後に…。




これは、こども達が閖上の将来を模型にしたものです。



左の旧閖上の街から、右の新しい閖上の街へ。。。


こども達が描いた新しい閖上の街並み。


明るい未来と勇気が見えます。




そう、


街の新しい未来はこども達がつくる。



その日が必ず来ます。




自分も、、、

直接にも、間接的にでも、その未来にかかわって行きたいと思います。




”共に前へ”。






-END-


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