多賀城市の「末の松山」に再訪して来ました。
ちぎりきな かたみにそでを しぼりつつ
すえのまつ山 なみこさじとは
~後捨遺集 清原元輔
百人一首にも取り上げられたこの歌の通り、今回の津波でも、ここまで波は来ませんでした。
この歌、この場所を思うと、古からの知恵や伝授、その尊さ、大切さが身にしみます。
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この日は、三日間の七ヶ浜ボランティアセンターでの活動を終え、仙台の菊池さんにここまで車で案内してもらいました。
菊池さんとの久々のツーショット。
以前、このブログで、”「末の松山」波越さじ。”というタイトルで初めて来た時の記事を書いています。その時は6月。梅雨空の頃でした。
この日は青空の快晴の空。
夏の「末の松山」は、真っ青な夏空を背景にして爽快・勇壮な立ち姿でした。
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この後、菊池さんと、この「末の松山」の下にある”何でも屋さん”に足を延ばしました。
この”なんでも屋さん”は「スズキ酒店」といいます。
菊池さんは、このお店に置いてある多賀城市のガイドブックを一緒にきたボランティアさんに渡してくれています。
こちらで”ガリガリくん”を食べながら、、、
店主のお母さんからお話をお聞きしました。
業務用冷蔵庫が全部ひっくり返った写真。。。
棚の日本酒一升瓶が床に散乱した写真。。。
どちらも足の踏み馬も無いほどグチャグチャになった写真を見せてくれました。。
そして、お店一階が水につかり、台無しになった商品。。。
そんな時、津波から二、三日立った日、近所の方々が、泥がついててもいいから食べ物を分けてくれとお店に来たんだそうです。
その時、
”よし、店をやんなきゃ”
そう思い立ったといいます。
それから商品を仕入れるたため、毎日毎日、市場に何時間も並んだと。。。
車も、ガソリンも、周りが提供してくれたと言ってました。
菊池さん曰く、
「一歩踏み出した善意が、商売継続への大きな後押しになっている。
だから出来るだけ立ち寄って、お話しを聴くようにしているんです。。。」
私もこの日、お母さんの話を聞いて、涙が溢れて正面を見れなくなりました。
それでくるりと回って、日本酒を1本購入しに走りました。
晴れ晴れと明るく売ってくれたお母さんに、こちらの方が勇気をもらった次第です。
お土産の地酒は、またこちら「スズキ酒店」から買いたいと思いました。
ご縁に感謝。
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